「つくること、生きること」
雰囲気ある大阪の下町で、シンプルなファサードにほんのり灯る明かり。
カフェを思わせる第一印象に奥へ進むと落ち着いた空間で、独創と伝統の幅が広がるような料理をいただきました。
持ち帰りのお菓子も充実していて、見えている世界からは静かだけど熱い何かが伝わってきます。
”余白”とはまたいかようにも解釈を与えてくれるネーミングです。
カフェ利用もできる、フランス料理を食べることもできる。
一息つける場所、それは時間なのか空間なのか、はたまた人生なのか。
変化の時代に生まれたお店が見ている景色とは。
ご夫婦のお店ですが主にお話を伺った陽児さんの物語として綴っています。
料理が遊び
北海道は札幌市出身の陽児さん。
共働きの両親を身近に見ていて、小学生の頃から自分で料理を作るということに抵抗はなかった。
そんな環境が自然に用意されていた。
とはいえラーメンやチャーハンなど簡単にできるものばかり。
具材や調味料の組み合わせを試して考えるのが楽しかったと言う。
家にはゲーム機器もなかったので、友達が家に来た時は料理をして遊んだ。
周りから美味しいと評価されることがうれしかった。
中学高校では一般的な家庭料理も作れるようになり、日常の中心には料理が当たり前のように存在していた。
将来の進路を決める上で、楽しいを続けていけることを優先すると料理の道に進む以外は考えられない。
高校を卒業して料理の専門学校へ行くことに迷いはなかった。
はじめての衝撃
専門学校では、熱心に料理の勉強をするというよりも普通の学生生活を楽しみ、飲食店でのアルバイトもいくつか経験した。
2年目に学校を通じて知ったイタリア料理のお店で働いてみたかったが、ちょうど募集が締め切られたところで、たまたまそこのシェフがさらにつながりのある知り合いのお店を紹介してくれた。
面接に行ってみると、そこは観光客で賑わう市場の中心地。
周りにはスナックや水タバコのお店がひしめきあっている古い木造の建物の2階にある小さなイタリアレストラン。
立ち込める空気感になんとなく気持ちはのらなかったが、紹介されたこともあり勇気を出して扉を開けた。
そこはオーナーシェフが一人でやっているこじんまりとしたお店なのに、お客様が次から次へと入れ替わり繁盛していて、足りない人手を補うような形で働かせてもらうことになった。
ある時、お客様が残した料理を勉強のためにこっそりと口に運んだ。
それまであまりレストランで外食をした経験がなかったが、今まで口にしてきた料理とはまったく違う上質さや精密さを感じられて鳥肌が立つほどに衝撃を受けた。
自分もシェフと同じような料理を作りたい。
料理に向き合う意識が大きく変わった出来事だった。
もっと知りたくて
学校も卒業間近、慣れ親しんだレストランのアルバイトではシェフにも頼りにされていて、このまま同じ店に就職するという空気感がただよっていた。
でもお店に、地元に、残ったとしてもシェフの料理には近づくことはできないし、料理の知見も広がらない。
もっと広い世界が見たい。
今後は海外へ勉強にも行ってみたい。
そう考えた時、目指す先は食の最先端をいく”東京”の一択だった。
とりあえず働くところは料理の仕事ができればどこでもよかった。
決めたのは銀座にあるホテルに、テナントとして入っているイタリアレストラン。
往復1時間半かかる場所に部屋を借り一人暮らしを始めた。
もの足りなさ
東京での仕事は順調にこなしながらも、休みの日には著名なお店などの食べ歩きをして料理の勉強に勤しんだ。
ホテルでの食事はあくまでも大衆的な食べやすさを求めた料理ばかり。
定番料理をひたすら大量に作る毎日の中で、料理の技術に関しては刺激が少なかった。
もっと技術を向上させたい気持ちがくすぶっていく。
食べ歩きで訪れた大阪のレストランにも惹かれたが、東京はミシュラン1つ星のフレンチレストランで次に働くことになった。
技術より思想
街場のレストランは料理の個性が光っている。
日本の食材をフランス料理とかけ合わせ、薪や炭を使って調理する斬新さに惹かれて選んだお店。
だけど現実はそう甘くなかった。
長時間労働、辞めていくスタッフも多く、スタッフ全員が落とし合いをしていて、技術は教えてもらえない。
個の能力を高めないと、足を止めていたらとてもついていけない。
ホテルの時とは真逆の環境だった。
歩みは遅いタイプだと自覚している。
周りの横顔が背中になっていく焦り。
何度も辞めたくなったけれど、それでも6年在籍できたのはシェフの行き届いた細やかな感性を探求したかったから。
意味のないものはお皿にのせない。
食材から調度品まで、ひとつひとつのストーリーを尊重したその思想に傾倒していた。
海外での学び
料理を自分の頭で考えることは鍛えられた。
なにより自信がついた。
次の目標となったのは憧れだった海外で料理の勉強をすること。
目指したのはフランス。
ところがワーキングホリデービザの年齢制限の1年引き下げや、外国人労働者を制限する国の施策などがタイミング悪く重なり、結局は観光ビザで現地の日本人シェフが経営するフランス料理店で3ヶ月間働いただけだった。
フランスの食文化で感じたのは、飲食店とお客様との関係が対等であること、星付きレストランには日本人がほとんどいること、それだけ日本人の精密な技術がフランス人のお客様にも評価されていることなど。
料理の技術で得られたことは少なかったが、感性が開かれ文化の違いを間近で見れたことはその後の大きな糧になった。
苦戦したオープン
フランスから帰ってきたら自分でお店をしようと決めていた。
奥さんもフランスで修行経験があるようなパティシエで、二人でうまく役割分担ができるようなスタイルで考えていた。
子育ても視野に入れ、奥さんの実家も近い大阪で物件を探した。
好きなお店が周りにあり、古き良き風情もある今の場所に決めることに。
そんなタイミングで新型コロナウイルスの流行が始まった。
開業資金を調達する上で、各方面から門前払いを受け、なぜ今やるのかを問われた。
気持ちは完全に前へ動きだしている。
待つ理由なんていくら探しても見つからない。
出産も控え、準備をしっかりと重ねたいため、今だからこそ逆にやりたかった。
なんとかオープンにこじつけ、当初は赤ちゃんをあやしながら二人で協力して営業に励んだ。
今できること
料理とお菓子、二人がそれぞれのポジションでやるスタイルはまだまだ模索中。
外観だけを見ればカフェだけのお店と間違えられることも多いという悩みも抱えながら、訪れる困難にどう立ち向かうかを考えていく。
自分たちのお店である以上、提供する料理やお菓子は100%の自己表現だ。
やりたくないことはやらない。
やりたいことをやっていく。
そうするための責任は引き受け、自由だからこそ自分たちで道を選択することができる。
限られた制約の中、身の丈に合った範囲で何ができるか。
迷うこともあるけれど二人だったら乗り越えられる、という互いの意見にブレはない。
編集後記
時代錯誤かもしれませんが、料理とは五感を使う仕事、決して動画やテキストだけで完全に理解できるものではありません。
食材の温度や質感、色や匂いの変化、言葉では説明できない領域をその場で何度も繰り返し感じることで体得していくものだと思っています。
その上、調理の技術だけに限ったことではなく、お客様や空間が存在していて、常に揺れ動くお店を構成する要素すべてにも気を配らないといけません。
料理とは、お店とは、そのバックグラウンドにある思想や姿勢が大切であることに強く共感しました。
それは容易に数値化できるものではなく、言葉を介さずに現場で感じるものです。
また制約があるからこそクリエイティブは生まれます。
与えられた食材をどう扱うか、与えられた現状にどう立ち向かうか。
料理も人生もそう変わらないのかもしれません。
その活路は盲目な時間を過ごすより、余白を作らないことにはきっと見つからないでしょう。
( 写真 = 荒川 陽児 、文 = 大野 宗達 )
大阪府大阪市中央区久太郎町3-1-22
080-5537-4904
営業時間 12:00〜22:00
定休日 日曜日、月曜日
お店を利用した感想や記事の感想をぜひお寄せください。
写真の投稿、コメントへのgoodボタンも大歓迎です。
*名前(ペンネーム可)とメールアドレスの記入だけお願いいたします。
善意が循環する社会活動を理想としています。
共感してくださる方はサポート(100円〜)をよろしくお願いいたします。
*クレジットカードの入力が必要です。