そば切り蔦屋

「生きる姿勢がメッセージ」


そこに行くという目的がないと辿り着けない場所。
四季の色合いを明瞭に映す豊かな自然の中をくぐり抜けて目的地を目指す。
家を一歩出た時から道中も含めて食事は始まっている。
もしかしたら、この日に蕎麦を食べに行くと決めた瞬間から始まっているのかもしれない。
都会とも言える大阪の谷町から、自然豊かな能勢に移転、移住された経緯とは。
人生を通して何を大切にして生きていきたいか。
蕎麦以外の奥深いテーマについても思考をめぐらせるいい機会になりました。 

店主の蔦谷健介さんと朋美さん

 

 

環境によって育まれた美意識

 

どの学部で学んでいたのかを思い出せないほど、ウェイトトレーニングばかりしていた大学生だった。
特にやりたいことはなかったけれど、なんとなく料理の世界に行ってみようと思った。
そう思うに至ったのは、幼い頃から母親が料理をしている背中を見ていて無意識に影響を受けたのではと振り返る。
その頃は自分で手を動かしてやることはなかったけれど、眺めているのは好きだった。
それに、家には職人の手がける工芸品が暮らしに溶け込むように並んでいた。
色濃く焼き付いたその原風景は、自然と日本的美意識を育てていった。
そんな内的感情があったからか、ホテルのイタリア料理店に内定をもらうも、やっぱり日本人だからと日本料理旅館に就職する。

自然との一体感

 

 

蕎麦との出会い

 

日本料理の世界は、想像以上にきつく、今までの自分の暮らしとは全く違っていた。
心と身体はボロボロだったが、上手くなりたい一心で仕事に打ち込んだ。
これからをどのように生きていくかを考え出した頃、よく読んでいた平凡社の「太陽」という雑誌の蕎麦特集に心を鷲摑みにされた。
ひっくり返るくらいの感動だった。
言葉でうまく表現できない感覚としてのパーフェクト。
かっこいい、センスがいい。
自然と郷土食が密接に関わり合っている。
特に蕎麦が好きだったわけではない。
そこに繰り広げられた世界に涙ぐんでしまうほど心の琴線に触れたのは、蕎麦が料理としてではなく、生き方そのものを示していたから。

蕎麦を中心に広がる世界

 

 

道をひらく

 

それからは雑誌に載っていたような本格的な手打ちの蕎麦を食べ歩くようになった。
いろんな人に会う中で、蕎麦を作る人はいい人が多い、また料理人でもなく芸術家でもなく、その間のような存在に思えた。
自己を表現するというより、ひとつの物事を突き詰める作業。
あれこれと器用にできる性格でないことは日本料理をしていて十分に感じていた。
蕎麦だけに集中して奥深くシンプルにできる方が自分に向いていると思えた。
蕎麦の道に行く決心で、6年勤めた日本料理旅館を辞めた。
蕎麦の修行をするお店を選んでいる中で、ひときわ輝きを放っていたのは大阪大正区にあった「凡愚」(和歌山県に移転)という蕎麦屋。
門戸を叩いてみたが、人員の空きがなく、教えられるような技術がないからと断られ、群馬県にあった蕎麦学校で学ぶことを勧められた。
愚直に言われた通り入学して(一ヶ月間だけ)勉強に勤しんだ。
大阪へ帰ってきて再び凡愚へ「学校へ行ってきました」と伝えたところ、その行動力を買われたのか、ちょうどアルバイトの欠員が出たタイミングも重なり運よく働かせてもらうことができた。

世界観を教えてくれた大きな存在

 

 

居場所を見つける

 

もちろん凡愚で蕎麦の技術は学べたけれど、それ以上にお客様やスタッフは店主が醸し出す魅力と世界観に惹かれて集まっていると思えたことが大きな収穫だった。
店主の生きている人生そのものがお店に反映されている。
はじめて蕎麦と出会った時のあの感覚は確かだった。
蕎麦を通して生まれる人の関係性や世界を、自分の価値観の軸としていこう。
そう決めてから自分でも蕎麦屋をやってみたいと物件を探し始めた。
夫婦ともに大阪府八尾市の出身なので生駒や奈良でも探していたけれど、特に場所にこだわりはなく、緑が好きな二人はちょうど目の前にあった公園に惹かれて谷町という場所に行き着いた。
そこはいろんな商店が軒を連ねる長屋のような場所。
凡愚を一年弱で卒業して、住居も移し、結婚と同時に夫婦二人で手打ちの蕎麦屋を始めた。

終わりなき探求心

 

 

谷町にて

 

2002年当時、大阪にはまだ手打ちの蕎麦を提供しているお店が数えるほどしかなかった。
その珍しさもあってか商売はわりとすぐに軌道にのった。
お客様にもスタッフにも恵まれ、長屋独特の交流もあり楽しかった思い出しかなく、経営面で苦労したことはないと言う。
谷町という街にも人が増えてきて活気づいたことによって、家賃が上がっていったことが唯一つらかったと笑い飛ばす。
その間に子供も生まれ、周りの人たちに支えられながらも、自分が描いた通りの世界に身をおけていることに何不自由はなかった。

谷町の仲間が作ってくれた写真集(最終営業日のワンシーン)

 

 

騒めきはじめる気持ち

 

暮らしを継続していく中で、周りの風景が次第に画一化されていくことに違和感を覚え始めた。
街の人口が増え、コンクリートの建物が増えていく。
健介さんは力強い世界平和を唄う内田ボブさんの音楽と出会い、交流が始まった。
仕込みをする時は決まって、内田ボブさんの音楽を聴いてるほど、そのカルチャーは身体に染み込んでいる。
また朋美さんは、大阪府吹田市にあるコミュニティハウス”モモの家”に出会い、山口県上関原発の事を知り、子供がアトピーになったことから、山口県祝島の枇杷茶を取り寄せる経緯で祝島との交流が始まった。
二人の社会に対しての意識は、内田ボブさんのライブを行ったり、原発やエネルギー問題の上映会やお話会を開催したりと積極的に活動するようになっていった。

そんな中、東日本大震災が起きた。

食を通して伝えたいこと

 

 

土を触りたい

 

今までの生き方が間違っていたのではないかと思えた。
何かを犠牲にして成り立っている社会。
お金だけが循環している消費経済。
ずっと感じていた違和感の粒が一気に収束した。
もっと自然の中に身体を置くべきなのではないか。
本当に大事なことは田舎にあるのではないか。
沸々とした想いを抱えながら地方への移住を考え始める。
とはいえ、震災の復興支援でやるべきことが多い中、次の場所が定まらないまま震災から5年の歳月が流れた。
能勢に移住を決めたのは、谷町を選んだ時と同じように、強いこだわりがあったわけではない。
描くイメージに近かったのと、ご縁やタイミングも重なり、まるで何かに導かれたようだった。
以前は日本料理屋だったという茅葺き屋根が特長の建物で、そば切り蔦屋の第二章が始まった。

導かれるように自然の中へ

 

 

暮らしも仕事も

 

能勢では、夫婦二人だけでやっていけるように営業スタイルを一新して、料理内容を充実させてゆっくり過ごしてもらえることを大切にした。
わざわざ遠いところから足を運んでもらうことが多いから、自然の豊かさを知ってもらいたいし、地元の野菜を使った季節の料理も楽しんでいただきたい。
次第に、谷町の時のお客様や仲間が足を運んでくれ、能勢でも地元の人だけでなく同じようなお店をしているもの同士でつながりが生まれていった。
周りにはいい大人たちがいるので子育ても安心してできる。
政治への関わりや、地域の集会、田畑の管理など、生活のすべてに関わることが多いので谷町の時より忙しくなったと言う。
それでも仕事と暮らしを切り離さず、丁寧に生きることが豊かさになると信じ、充実した日々を送っている。

心から納得のいく仕事を(里山料理)

 

 

これからできること

 

地方ならではの課題もまだまだたくさんある。
能勢で暮らしてみて人口減少や後継者問題を目の当たりにした。
人の流れや、ここにある豊かな自然を守っていけるように自分たちは何ができるのか。
まずは先人の生きる知恵を学び、能勢の魅力を知る。
そして周りのみんなと共有して、この場所が素晴らしい場所だと互いに認識し、つながりを密にしていく。
大きな力に依存するのではなく、みんなと一定の価値観を共有しながら、次世代へ残していくことが大切だと思っている。

美味しいの一言では表しきれない奥ゆかしさ

 

 

変わらず変わっていく

 

蕎麦は石臼で挽く。
一年に数回しか自分の納得いくものができないというほど完成のない作業。
だからこそおもしろく、探求ができる。
ぬか漬けが好きというように、定まらない味の揺らぎに美意識を見出している。
いいものを作る生産者を最大限にリスペクトして、顔のわかる食材しか使わない。
料理も生産者とお客様をつなぐ橋渡しの役割であるという認識のもと、まだまだ伝わっていないと感じているから、これからも身を尽くして発信していきたい。
それと同時に、食だけではなく政治や経済のことも含めて、みんなと一緒に生に対して手触り感のある暮らしをもっと伝えていきたいと話す。
人は新しい出会いでいつでも変われるけれど、どの場所に行ったとしても軸となる自分の世界観は何ひとつ変わらない。
あの日感銘を受けた、紙面の上に広がる蕎麦の持つ潔い生き様は、今も輝き続けている。

世界にはあなたが必要だから

 

 

編集後記

 

全体を通して、歩まれた人生のどの局面においても、いい選択をされていると思いました。
幼少期に見てきた郷土食の在り方や、さりげなく飾られた工芸品の数々が、まさに選び抜かれたセンスの集積だったことで、自然と選ぶセンスが養われていたのではないでしょうか。
また、移住という勇気のいる大きな決断は、震災がきっかけになってるとはいえ流れの中で必然の出来事に思えました。
それぞれの風土にあった場所でしか育たない植物のように、生きる場所が見つかったというか。
それは過ごしてきた時間があったからこそ見つかった問題提起であるし、行動したからこそ見つかった未来。
手と足を動かすことによって違いを知り、自分に適した居場所を見つけていく。
行動し続けることの大切さを学ばせていただきました。
健介さんは伝えきれてないことがたくさんあるとおっしゃっていましたが、すでに生きている姿勢そのものがメッセージになっていると言っても過言ではないように思います。

( 写真 = 蔦谷 朋美大野 宗達  文 = 大野 宗達 )


手打ち蕎麦


大阪府豊能群能勢町垂水246
TEL 072-734-2774
営業時間
平日 11時半〜、12時半〜、13時半〜
土日祝 11時半〜、13時半〜
予約優先(受付時間16:00-19:00)
定休日  月・火曜日(臨時休業あり)

https://sobakiri-tsutaya.com/

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