kinun.

「ずっと思っていること」


透き通った白い眩しさが全体を纏う世界観はまるで空気に色彩が与えられたよう。
ふわふわとしたやわらかさの中に、はっきりとした意思の強さが垣間見える。
小麦粉ではなく米粉を使ったお菓子の数々。
口に運んでみれば違和感なく、すっ、と甘みがほどけていく感覚はどこか懐かしささえおぼえる。
米粉に決めたきっかけ、今いる現在地、向かうべき場所、その流れを線で結ぶと浮かび上がってくるのは、ここにしかないたったひとつの物語。
順番どおり、気持ちをはかりながら、丁寧に言葉を紡ぎました。
お菓子作りをするように。

店主の横田絹佳さん

見てきた田園風景

愛知県は渥美半島をおおう田原市出身の横田さん。
幼い頃から農業を営む両親を見て育った。
高校卒業を控え進路を考えていた時、兄二人は大学へ進学していたが、経済的に大変そうな両親の背中を間近で見ていた。
決してそれがネガティブな気持ちになったわけではなく、大学へ行く志は持てず手に職をつけようとケーキ屋に就職した。
ケーキ屋と言っても、地方の個人で営んでいるような小さなお店。
オーナーは根っからのケーキ職人で、求められる仕事は厳しく、時に言葉を荒らげた。
毎日が厳しかったけれど社会人としての心構えや度胸は、この時の経験が後々に活きてくる。

自分らしさとは

ケーキ屋で技術を学びながらも、製菓の学校に行っていないことを、どこか負い目に感じていた。
自分に何ができるか、自分にしかできないことを見つけないと技術力だけでは周りに敵わない。
そんなことを考えながら仕事に打ち込んでいた。
ある時、道の駅に並んでいた米粉に目が留まる。
米粉をお菓子作りで使ったらおもしろいのでは?
さっそく手に取り生産者に個人で仕入れれるかを問い合わせた。
その時いい返事をいただけた農家さんの米粉を今でも使っている。
すぐに米粉を使って何かをしたかったわけではなく、自分のブランドとして米粉を使ったお菓子がおもしろいのではと記憶の引き出しへ大切に閉まった。
その考えに至ったのは、実家が農業をやっていたこととも少なからず重なっていた。
農作物を作れはしないけど、仕入れて使うことなら自分にもできる。
両親に対して何かお返しをしたい気持ちが知らず知らずのうちに醸成されていった。

憧れ

方向性が見つかり、ふつふつと感じてきたのは、ケーキ屋としてケーキの技術を磨くよりも、カフェというカテゴリーの中でケーキを作る方が自分に合っているということ。
将来は好きな地元でカフェをしたいとうっすら思い描くようになっていた。

”ゆとり世代”と言われることに敏感な横田さん。
その負けん気の強さもあって、厳しかったケーキ屋さんを3年は続けることに。
精神的な限界があって辞めた後は2年ほど自分を見つめ直した。
次に心が動いたのは兄がきっかけだった。
兄は神戸で演劇の舞台に挑戦しながら”カフェバー&ギャラリー エンタス”というカフェで働いていて、そのいきいきと暮らしている姿に強い憧れを持った。
神戸といえばカフェ文化も盛んな街。
やってみたいことが詰まっている街。
そんな世界を一度は見てみたい。
ゆとりだなんてなめられたくない。
それが原動力となり、はじめは一年間だけのつもりで兄のいる神戸へ向かった。

想いをかたちに

神戸に来てからは三宮の”カフェシオン(閉店)”で働くことに。
新しい場所でお菓子作りをすることや、カフェという空間で仕事ができることが楽しかった。
素敵な街、刺激が多く、人とのつながりもどんどん生まれる。
あっという間の一年が過ぎ、ふと「なぜ神戸に来たのか」を自問自答した。
まだ自分が納得できるような形に何もなっていない。
10代の頃に出会った米粉を使って、もっと自分らしさを表現していこう。
一年ではぜんぜん足りない、そう思い実家には帰らず神戸に残った。
兄の働いているカフェも近くて互いのお店同士も親交があり、ご縁も重なったことでカフェシオンを辞めて兄のいるエンタスで一緒に働かせてもらうことに。
自分達のやりたいことを理解し、それぞれに応援してくれるオーナーさんの優しさもあって、お店で出すデザートを任せてもらった。
そこで米粉のお菓子を存分に試させてもらい、「kinun.」というブランドもその時に確立された。

私という表現

カフェで働きながら次第に自分のお菓子にお客様がついてくれるようになり、もっと作る場所が欲しいと思うようになってきた。
物件を探し始め今の場所にたどり着く。
はじめはお店を持つというよりも工房として使い、カフェでの勤務とかけもちの日々が続いていた。
神戸だけではなく、地元方面の愛知や浜松のイベントにも積極的に参加した。
休みの日や仕事終わりに準備をして大変だったけど、好きなことだったので苦痛ではなかった。
そうしてしばらくの月日がたち、ある時カフェのオーナーからランチ営業をやめると言われる。
そのタイミングで兄と一緒にカフェを辞めて自分のお店だけでやっていこうと思ったのは自然な流れ。
オーナーをはじめ周りの応援が、本格的な始まりの大きな支えになった。
感謝の気持ちは今も返し続けている。

役割として

米粉を使ったお菓子で小さなお店をしながらも、目標は地元でカフェをしたいという気持ちが次第に固まっていった。
あくまでも今はその過程。
カフェの好きなところは、空間や場所の中に流れる雰囲気が心地いいこと。
お菓子作りがしたいというよりも、できることを使って人と関わりつながっていくのが自分の役割だという認識でいる。
ワクワクすること、楽しいこと、人を喜ばせること、お菓子はそれらを叶えるための表現のひとつ。
イベントや行事など特別な作品を作る時は、アイデアがなかなか出てこず苦しいこともある。
緊張やプレッシャー、孤独との闘い、自分は自分と言い聞かせて焦りながらも乗り越えていく、そんな繰り返しでこれまでやってきた。
はじめは一年間のつもりで神戸に来たのに、いつのまにかここにいるという感じ。
ご縁や周りの応援に恵まれてたどり着いた現在地。
今の状況に満足はしていないけど、充実した毎日を送っている。
休みの日は、イベントに顔を出したり、知り合いのお店に行ったり。
自分が関われる距離感の中で楽しめることが心地いい。

後悔のないように

神戸に来てから、はじめて勤めたケーキ屋のオーナーが癌で亡くなったという知らせを聞いた。
当時は気持ちよく辞めれなかったし、正直なところ会いたくないくらいの人だった。
でも今の技術の基礎があるのはケーキ屋での経験があるからこそ。
感謝を伝えたかった気持ちは空に消えていく。
その時のオーナーの奥様が、ケーキ屋出身のスタッフで今もお店をしている人は少ないので、横田さんが続けていることにすごく喜んでくれた。
そして添えられた「身体は大切に」という一言に胸が熱くなる。
ずっとお菓子作りを続けていきたいと思った。

笑っていたい

「kinun.」という名前は神戸に来る前から考えていた。
ファーストネームである「絹」に「n.」を足したのは、笑顔の形と特徴である泣きぼくろを顔文字(nun.)で表現した。
過去も未来もあれこれと考え過ぎずに今を笑っていたいという想いを込めている。

大好きな地元である愛知県田原市は日本でもトップレベルの農業産出量を誇っている土地。
そんな豊穣な場所をもっと知ってもらいたい。
農業を営んでいた両親の背中を見て感じていたこと。
自分の役割で叶えられる範囲での貢献。
いつか憧れのカフェは、目を閉じれば海風が吹き渡る景色がそこに広がっている。

編集後記

はじめはアレルギー対応からの米粉だと思いましたが、出会ったきっかけはそうではなく自己表現として見つけたもの。
カジュアルに米粉そのものを楽しんでほしい、素材を大切にしたいという気持ち。
幼い頃に見てきた風景が、そこにつながっていると思わずにはいられません。
あくまでも対象の相手が気持ちよくなって笑顔になってもらうこと、米粉のお菓子が接点となって関係性がつながっていく場所や空間づくり。
そんな理想のカフェを目指したいと笑顔で語ってくれました。
皿盛りをしてみたい、もっとカッコつけたいと話す横田さんのやりたいことは、まだまだ胸の中にしまわれているはず。
ずっと思っていること。
その芽がどんな風に花開くかとても楽しみです。

写真 = 横田 絹佳
文 = 大野 宗達


営業時間 12:00-18:00(テイクアウトのみ)
営業日 木、金、不定期土曜日

https://www.komekosweets-kinun.com/

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