「むつびあう風土」
信楽の街に入ると側道から大小さまざまなタヌキがまるで歓迎してくれているよう。
わざわざ訪れるという行為の中に含まれる楽しみには決めてから目的地に至るまでの時間性もまたその体験に付加価値を与えてくれます。
目の前のテーブルに置かれたカセットコンロと土鍋でお米からご飯を炊くという様式。
メニューを決めて待つ間に自分の好きな信楽焼のお茶碗と箸置きを選べます。
どれもご飯に合うような料理の数々は白ご飯が主となっていて、懐かしさと新しさの入り混じった奥行きに舌鼓を打ちました。
土鍋の蓋を開けた時に立ち上がる湯気の香りの甘いこと甘いこと。
時には立ち止まり、だれかの手仕事や当たり前の食事に思いを馳せることをそっと教えてくれているような気がしました。
当たり前の風景
焼き物の街、滋賀県は信楽で生まれ育った。
曽祖父の代から始まった信楽焼の窯元として、幼い頃から当たり前のように土鍋が身近にあった。
土鍋で炊いたご飯を食べる。
今までお店で米を買ったことがないほどに、米を自給自足することは自分たちだけではなく周辺の地域でもごくごく普通のライフスタイルとして定着していた。
記憶の奥底に長い時間をかけてきざまれたその美味しさは今さら取り立てて説明するほどでもないくらいに自然の恵みそのものだった。
うしろすがた
家業を引き継いだ父親もまた信楽焼に傾倒した。
経営の才覚に長けていた父親は、その規模を拡大させていった。
土と炎の芸術が高く評価されたのはもちろん、作っては売れていく時代背景も相まって、窯の火は消えることなく365日稼働していた。
一家総出で焼き物に携わる日常を過ごしていたので、物心ついた頃には例外なくその環境にどっぷりと浸かっていた。
そうして成人後も当たり前のように家業を手伝うようになっていく。
しかし焼き物を作るような職人にはならなかった。
いや、ならなかったのは技術力の高い職人たちを前にして自分が土を触るなんて恐れ多くてとてもできなかったから。
ただいい焼き物を間近で見てきたことで審美眼を養えたし、何より父親の背中や業界の事情を俯瞰して見れたことが後の行動に大きく影響を与えることになる。
悔しさと心残りと
時代は変化し、焼き物も以前のように作った分だけ売れるということは次第になくなっていった。
事業を継続していくことの大変さや、たくさんの従業員の生活を守る責任の重圧を目の当たりにした。
これだけいいものを作っているのに。
こんなにも美味しい料理が作れるのに。
土鍋の良さをきちんと伝えきれていないのではないか。
そんな疑問と悔しさを抱えながらも自分にできることの少なさを実感し、一度家業からは離れることを決心した。
そして大学で取得した教員免許を活かして特別支援学校の教師として転職することに。
伝えるということ
特別支援学校には様々な不得意を抱えた人が集まっている。
それぞれに適した学習方法を考えるというよりも、等しくみんなに理解できるような環境を整えないといけない。
それは基準を下げるという視点ではなく共通項を見つける作業だった。
誰にとってもわかりやすくすること、それが伝えるということではないのか。
また伝えるためには、何を伝えたいのかが明確でないといけない。
本質を探る努力が土鍋の良さを伝える時に足りなかったのだと思い返した。
今まで見てきた世界と違う場所に身を置くことではじめてわかる感覚だった。
やっぱり知ってほしい
教師の仕事を通じてたくさんの教訓を得たので、あの頃の後悔を拭う意味も込めてもう一度自分なりの方法で土鍋の良さを伝えたいと思い至った。
どんな形がいいかと模索した時に、仕事を続けながら一番やりやすいのが料理教室というスタイルだった。
土鍋を使って炊くお米の美味しさ、土鍋を使って作る料理の美味しさ。
奇を衒うのではなく純然たる日本の美意識に根ざした素材の美味しさがありのままに引き出される土鍋の良さをただただ伝えたかった。
教訓をいかす
実際に土鍋を使った料理教室を始めてみて手応えはじゅうぶんにあった。
お客様の反応、作ってみた感想、返ってくる承認にやりがいを感じた。
しかし同時に物足りなさも覚えた。
なぜなら料理教室に参加できる人たちは少なからず料理に対して意識の高い人たちが多い。
間口の狭さが気がかりだった。
本当に自分の伝えたいことは何かと自問自答したとき、それが土鍋の良さであるならばもっと裾野を広げて届けないといけないと思った。
それは幼い頃から家業を見てきたことや、それぞれに不得意を抱えた生徒たちを見てきたからこそ得られる教訓でもあった。
そうして土鍋の良さを伝えるという一点の目的において、裾野を最大限に広げるためにとれる手段は飲食店というスタイルなのでは、という考えに行き着いた。
また今までの人生の歩みの総括も含め、残りの時間をどう過ごすか、悔いのないようにしたいと覚悟を決めて新しい道をゆくことを選んだ。
何をして何をしないか
教師を辞めて、料理教室も辞めて、はじめてのお店づくりに勤しんだ。
最小限のアクションで最大公約数を狙う考え方はここにも活きた。
正直何もかもがはじめてのことで勇気がなかったのもあるけれど、決していい立地ではない自宅を改装して、できる限り内装やしつらえは自分たちの手で施した。
土鍋で作るご飯や料理の美味しさをいかに伝えるかを軸に、周りの空間づくりやサービスのタイミングに意味を込めた。
適切に伝えるためには何をして何をしないか。
その目利きはすでに経験の中で自然と養われていた。
実現と充足
店名に冠された「庵」には、もともと家族で暮らしていた家からお店が生まれていることに端を発する。
曽祖父の想いから連綿と受け継がれている信楽という街への敬意と風土も包括している。
お店をオープンしてからしばらくは母親に手伝ってもらい二人で営業した。
立地による懸念はあったけれど、信楽焼を目的に訪れるお客様にアプローチをかさね徐々に客足を伸ばしていった。
自分の思い描いていた世界を実現できている喜びに満たされた。
焼き物という代々受け継がれてきたものに日々携われることも心の安寧となった。
オープンして半年後、願ってもないチャンスが信楽の地に舞い降りる。
NHKドラマ連続テレビ小説「スカーレット」の舞台に信楽が選ばれたのだった。
否が応でも全国レベルで認知が高まることは間違いない。
テレビや雑誌が特集を組んだり、聖地巡礼などの恩恵でお店の紹介をたくさんしてもらえた。
良くも悪くも大きな影響力に身をあずけることの大切さを痛烈に感じた。
目的を叶えるために
次第に信楽へ来訪するお客様の回遊ルートとしても定着してきた。
スタッフに協力してもらえるようにもなって、より誰にでも同じ料理やサービスを提供できるような仕組み作りにこだわった。
いかに動きやすくするか、身体に負担がないようなものの配置、天井の高さや窓から見える景色に至るまで。
その環境をつくることを今の今までずっと考えてきたといっても過言ではない。
何より伝えたいのは、土鍋の良さを知ってもらうという一点だから。
土鍋そのものの良さはもちろん、土鍋を囲んでこそ生まれる会話があるならば、それは立派なコミニュケーションツールにもなる。
ご飯の炊けた合図で蓋を開けたとき、お客様の混じりっけのないほころんだ表情が見れるとふくよかな気持ちになれる。
嗚呼、この道を選んでよかったと。
多くを望まず目の前の充実を、急がずに時間をかけることを、手仕事に対する愛着を、当たり前の美味しさは土鍋という道具の中にすべて含まれている。
編集後記
土鍋を使ってご飯を炊く。
気づけば忘れ去られていくような古き良き日本の風習が、敬遠されがちな面倒臭さの中に埋もれていくのは果たして善なのでしょうか。
時間がつくる美味しさ、時間がつくる関係性、時間をかけてでしかわからないことがたくさんあるはずです。
土鍋であることの意味は熱伝導率の低さであること。
時間をかけてゆっくりと温まる熱で素材にじっくりと火を入れていく。
そんなメタファーは田中さんの歩んできた人生にも通じているような気がしました。
信楽の地で生まれた焼き物は少なからずその風土が作った必然でもあります。
今手元にある材料の強みを活かしつつ形を変えて転用することで、新しいなにかが生まれたりします。
風土をしっかりと理解し流れに沿って身を委ねること。
その地で生まれ育った時間を過ごしたからこそわかる領域なのだと思いました。
この物語が微力ながらも土鍋の良さを伝える一端を担えれば幸いです。
( 文 = 大野 宗達 )
滋賀県甲賀市信楽町長野317-21
0748-82-3460
営業時間 11:00~15:30 (土日 10:30~16:00 )
定休日 金曜日
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