どじょう

「曲がりくねった道を行く」


夕刻、歴史を感じさせる旧家や商店の連なる西国街道に、芳しい香りが立ち上る。
食欲を搔き立てるその正体は、昆布と鰹節でとられたお出汁だ。
モダンな明るいブルーの暖簾の向こうで、お出汁とワインのマリアージュを伝えるのは店主の津吉良太さん・りえさん夫妻。
ふたり厨房ですれ違うのがやっとの小さなお店は、ワインへの愛と美味しさへの挑戦で満ち溢れている。
その物語は、おもしろいという感覚に従って生きてきた青年のワインとの出会いから始まった。

ソムリエ人生の始まり

良太さんは、兵庫県・川西市出身。
お酒とカメラが好きだった。
「お酒好き集まれ」という自分のためのようなキャッチコピーに誘われ、大学時代にアルバイトを始めたのはワイン専門店。
濃い工業ワインが主流な時代にちょうどナチュラルワインが出始めたころ。
そのおもしろさからワインの世界に魅了され、ソムリエの資格も取得した。
卒業後はカメラを学びたくて、京都の芸術大学の通信部へ入学。
学費と生活をやりくりするため飲食店を運営する会社に入社し、二足のわらじを試みる。
やり手の社長が営むベンチャー企業は厳しくも楽しかった。
働くのに忙しすぎて本来の目的であるカメラの勉強はできなくなったが、ここで得たものが人生を大きく変えた。
人間味ある熱い料理人や仲間たちに囲まれて働く毎日。
当時、副店長だったりえさんとも出会った。
和食店の業態で、店長・ソムリエとして10年弱務める。
いつしかカメラへの情熱を超えるほどに、大好きなワインを広めたい気持ちが膨らんでいった。

津吉さんのフィルムカメラで切り取った風景

再構築

ナチュラルワインを広めたい一心で地元に戻ってきた良太さん。
ワイン専門店に勤めたあと、夫婦になったりえさんとその翌年にお店を構える。
縁あって辿り着いた場所は、隣町の箕面市。
かつて良太さんの祖母が住んでいたこともあり所縁のある街だった。
ふたりともサービスをする職務だったので、店舗での調理経験は全くなかった。
そこで重きを置いたのが、お店のコンセプト。
ただナチュラルワインを扱うお店では目新しさに欠ける。
際立ったもの同士の組み合わせることで、自分たちらしい希少価値を出そうと考えた。
思い浮かんだのは、京都の街で触れた日本のお出汁文化だ。
お出汁は日々の食卓で愛されてきたもの。
ナチュラルワインも、それまで日本でブームを起こしていた特別な日のための濃いワインではなく、若くて飲みやすく外国では日常的に楽しまれているものだった。
お出汁を感じる毎日のおばんざいと、毎日飲むワイン。
相性のいいふたつを組み合わせることでナチュラルワインの良さも知ってもらえるし、日本人の暮らしから離れつつあるお出汁をとる文化も再構築できるのではないか。
基本のお出汁をきちんととれば料理は美味しくなる、ということを提案したい想いもあった。
大切にしたのはあくまでも日常の味。
いいものを使ったら美味しくて当然、とはしたくなくて、値段の高い昆布と鰹節は使わないことに決めた。

料理と向き合う日々

とはいえ、良太さんは全くと言っていいほど料理をしたことがなかった。
店長として料理人と働いた経験は活きたが、最初の5年ほどはとにかく必死だった。
良太さんがメニューを考え、りえさんが仕込みをする。
お店を営業しながら少しずつ形にしてきたが、料理人ではない自覚からプレッシャーで眠れない毎日。夢の中でも料理を作り続けた。
それでも自分たちの作る料理を食べに来てくれるお客様がいる。
また来てくれるなら、何か新しいことをして喜んでほしい。
そんな使命感に駆られ、常にできることを最大限に伸ばしたいと考え動いてきた。
そのうちのひとつが大阪の伝統的な料理である、押し寿司のお弁当だった。
新しい試みを前にした苦悩を和食店時代の先輩に打ち明ける。
翌日の早朝、本社のある広島から嵐のごとくバイクで駆けつけてくれた寿司職人の先輩。
銭湯に行ってお酒を飲み交わし、寝ぼけ眼で寿司酢の割合を教わりながら作ったものがお店の味となった。
わからないからこそ学ぶことができる。素直に人に頼れる強みを活かせばいい。
次第に少しずつ自信もついてきてプレッシャーはモチベーションに変わり始めた。

つなぐ気持ち

押し寿司弁当ができあがったのは、コロナ禍となるほんの数ヶ月前のこと。
タイミングには恵まれたが、急なテイクアウト需要の高まりに翻弄される。
お店での提供とは、原価率の考え方もお客様の満足度も全く違う。
もう1回新しいお店をやるような気持ちで挑んだ。
仕込みも今まで以上に大変になったが続けようと思ったのは、生産者の方がいるから。
ワインの提供ができなくなっても、毎月欠かさず取引先からワインを仕入れた。
期限付きの酒販免許を取得して販売し、流れを止めないようにした。
年配の常連さんの食生活を案じ、身体にいいものを食べてほしい想いもある。
小さなお店にできることは限られているけど、精いっぱい生産者とお客様をつないでいく気持ちだった。
そのおかげでお弁当の評判は人を介して広まり、宣伝などに苦労することはなかったと語る。

人間味あふれるストーリー

「どじょう」という店名は、良太さんが好きだというイギリスの社会派映画監督ケン・ローチ氏が由来。
ローチを和訳すると魚のどじょう、響きがワイン用語で「土壌」を意味するテロワールとリンクしたことから、お店の名前に。
外国からみた日本文化を意識し和の要素を持たせ、どじょうが口を開けた正面顔をロゴとした。
西国街道を挟んだ向かいには老舗の鰻屋さん。
鰻屋の前にどじょうです、というユーモアにも惹かれた。
かつては、宿場町の繁華街としてとても栄えていた西国街道。
大通りの開発や高齢化で商店を続ける人も少なくなったけれど、この歴史ある街の一部として、新たなストーリーを紡いでいくことに魅力を感じている。

今ここでできること

建物の老朽化や自分たちの健康、幼い子どもたちと過ごす時間を確保すること。
いくつかの課題を思い浮かべては、将来に向けて、営業形態の変更や店舗の移転を視野に入れることもしばしば。
でも、ここでできることはまだまだある。
それを最大限に模索して毎日できることをやっていくのが、ふたりのスタイルだ。
酒販免許を取得し、お客様へ提案型のワイン販売を行うこと。
お出汁を缶詰にして販売したり、和と洋という関連性でコースの最後にモナカとコーヒーを提供するなど、新しい試みも始めた。
今はワインの特性上夜の営業が中心となり、仕込みが終わるとりえさんはお店を離れ子どもたちを迎えに行くが、良太さんは今後昼の営業に力を入れたい想いもある。
子どもが大きくなったら、またふたりでここに立ってお客さんを迎えたい。
一方で管理栄養士でもあるりえさんには、給食調理員になるという夢もある。
ふたりの夢、そしてずっと支えてきてくれた妻の夢を叶えさせてあげたい気持ちの間で揺れ動く。
「考えることがなくなったら生きてる意味がないんですよね」と語る良太さんが、この先どんな道を選んでいくのか。
まだまだ、この小さなお店での美味しい挑戦は続きそうだ。

店主の津吉 良太さん、りえさん

編集後記

人生のあらゆる場面で相反するいくつかの可能性を加味して、考え選択するということを重ねてきた良太さんの歩み方。
目標に向かって一直線というよりはいろんなものが入り交じっている印象で、ご本人は度々「矛盾してますかね」とおっしゃったけれど、世の中というのは常に表裏一体であると思う。
人間ってわかりやすく一面だけでは語れないし、どちらも一理あったり、どちらも大切で迷ったり。
そんな中から、悩んだ結果になにかを選ぶ。
これこそが人間らしい行いで、良太さんの生きる意味なのかもしれないなと想像する。
いつだって人間味のあるストーリーに心動かされるのは、そういうことを軸として大切にする方だからではないかと感じた。
それにしても、対照的な良太さんとりえさんのコンビネーションが抜群で、そのやり取りに何度も笑わせてもらった。
目の前で人が転んだら「声をかけたら逆に恥ずかしいだろうか」と懸念して動けない良太さんと、迷わず駆け寄って手を差し伸べるりえさん。
きちっと詰まった端正なお弁当を詰めているのがりえさんだと知って、妙に納得してしまった。
性質が異なるようで相性のよい夫妻は、どこかワインとお出汁の関係性のよう。
おふたりの生み出すどじょうらしいマリアージュが、これからも楽しみだ。

( 文 = Yuki Takeda )


大阪府箕面市桜井1-1-1
070-5502-0506
営業時間 11:30-(テイクアウト)、17:00-22:00(ディナー)
定休日 日曜日、祝日

http://loach.jp/

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