季節といなり 豆椿

「季節を映す美術館」


この場所に足を運んで、まずふと目に留まるのはこの桜並木だ。
春になるとトンネルのような淡いピンク色に包まれ、地元の人たちが年に一度の美しい景色を楽しみにやって来る。お店の特徴ともいえる並木道沿いの大きな窓は、自然が繰り広げる季節の移ろいを店内に呼び込んでいる。
「米と大豆を使ったもの、季節を感じられるものをやろうとだけ決めていた」と語る、店主の細井さんがこの場所に惹かれたのは、とても自然なことかもしれない。
彼女がこの空間でいなりを握るようになるまでの経緯を伺うと、そこには人との縁から生まれるたくさんの巡り合わせが散りばめられていた。
決して主張は強くはないけれど、確実に静かな意思を持って選ばれてきたひとつひとつの想いは、まるでこの空間そのもののようだ。

店主の細井久美子さん
桜を引き立てる外観

 

 

豆椿の原点

 

家政全般を学ぶ短大を卒業した細井さん。
手に職をつけたい、何かを作る仕事がしたいという想いを抱いて社会に出た。
パン屋でのアルバイトを通して食べるものを作り売る仕事に興味が沸き、小さな惣菜店で慌ただしく働き始める。
その後、自らの心身のバランスを保ちながら続けられる形を求め、生活リズムがきっちりした給食の調理の仕事を選んだ。
その傍らで、個人でいなりを作る活動を始める。
ご自身も好きだという日本食の中でも、シンプルで季節の変化を取り入れやすい「いなり」。
半年ほど揚げを炊き続けて試作を重ね、フリースペースを借りて提供する機会を持つと、カフェやイベントでの出店へと広がった。
やがて、3ヶ所のキッチンを借りることとなり、移動しながら作ることに限界を感じるようになる。
同じように作っているのに場所によって毎回味が違うことや、自分自身の気持ちが揺らぐことに次第に違和感を覚え、自身の工房を持ち1つの場所で作ることを考え始めた。

時で変わる光と影

 

 

出会いと船出

 

そんな中で、細井さんの気持ちを形にしてくれる人との出会いがあった。
建築士の田中郁恵さんだ。ふたりが親しくなるのに時間はかからず、たくさん話をした。
物件探しに彼女が加わり、やがてたどり着いたのがこの桜並木の店舗。
ここを借りると決めた時、船が陸から離れるように、細井さんのお店作りは一気に動き出した。
出会ってからずっと細井さんの活動を見て、コンセプトや想いを知ってくれていた田中さんが作り出したのは、まるで季節の彩りの「背景」となるようなシンプルな空間。
あの印象的な大きな窓も、一役買っていた。以前のテナントでは埋められていた壁に、大家さんの計らいで大きな窓が作られて細井さんの手に渡された。
それは今や、イートインスペースに座って季節や光の移ろいを味わうには欠かせない存在となっている。

季節と食材の蜜月な関わり

 

 

自然と調和する空間

 

シンプルに見えて、自然や街並みと穏やかに調和するような、無機質にならない要素がお店のあちこちにあった。
田中さんがとてもこだわり何度も塗り直して決めたという、少し温かみのある白い空間。
実は壁と天井で、微妙に色味が異なる。
テーブルは木に和紙を貼り、水を弾く塗料を塗ったもの。
和紙の長さ、幅に合わせて並べられ、印象的な色の重なりを生んでいる。
アートや美術館を愛する細井さんは、時折店内で展示を行う。
間借りで活動をしていたころから現在に至るまで、イベント出店で出会った作家の方とのつながりが、今も和紙のテーブルの上で続いている。
その脇に並べられた椅子にも、物語がある。
実はその中の4脚は、細井さんと田中さんの祖母が使っていた椅子だった。
テカテカのこげ茶色に、赤いビニールの座面。
「普通の昭和の椅子」は、細井さん自身が粉だらけになりながら削り、家具再生をする友人の手を借りて、新しい場所で生まれ変わることとなった。
どれも控えめでありながら、静かな意思を持ってそこに佇んでいる。
「必要としている方に、ここでいなりを食べて、空気を味わってもらえればそれでいい」と話す細井さんの想いを、そっと表しているようだ。

思い出の椅子

 

 

揺らぎとこれから

 

自分のペースを守りながら日々ひたすらに、いなりを握り続けてきた細井さんにとって、コロナ期は大きな揺らぎだった。
そして同時に、立ち止まり「やりたいことしかやらない」と決めるきっかけとなった。
これからどういう状況が来るかもわからないし、いつ手放さなければならなくなるかもわからない。
人の考え方ってすごく変わっていくんだなということを、自分自身で感じた。
お店というのは、ひとりでは完結しない。
この空間だけ持っていたって何の意味もないということ。
ここに人が入って、人の気配がして、過ごしてもらうことでお店として活きていく。
その時、細井さん自分自身も店主というよりは、この空間の一部なのだろう。
絶対に何年続けたいという強い想いがあるわけではないが、遠く離れた場所で同じようにお店を営む友人の周年を見て「何周年を見てもいいのかなっていう気には少しなってきた」と語る。
長く続いても、続かなくてもいい。いなりでもいいし、いなりでなくてもいい。
「全然違うことしてるかもしれない、わたしも楽しみです」と笑う姿は、どこか清々しくもあった。

まるで美術館のように
お持ち帰りも

 

 

編集後記

 

「こだわりも、目標もないんです」と語る細井さんだけど、お話を伺いながら感じたのは「したい」という気持ちに比べて、「したくない」という気持ちははっきりしているなということ。
明確な目標に向かうというよりは、違うなと思うことを削るように生きてきた彼女の心の中に、実は確かにある想い。それを引き出し、ご本人でも気づかなかったものを表現してくれた田中さんとの出会いは、とても大きなものだったのだろう。
そして、その明確な基準を元に歩んだ先で、巡り合ったものにはとても柔軟な印象。
彼女自身は「流れに乗った」と表現したが、まさに穏やかな川の流れのようだ。
頑ななこだわりがない分、巡り合わせを楽しめる。
自分のやりたいことを誰かに委ねるというのは、誰にでもできることではない。
NOだけはっきり決めて、田中さんを信頼し良い意味で丸投げをすることができた細井さんだから、この空間が生まれたのではないだろうか。
このお店が持つ凛としていながらも柔らかい、心地よさの理由を知ることができた気がした。

( 写真 = 細井 久美子   文 = Yuki Takeda )


「いなりを通して季節と出合う」をテーマにした
いなりのお店。

大阪府箕面市箕面5-10-11
080-4989-0625
営業日 不定休
詳細はお店のサイトでご確認下さい。

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