pasticceria  gelateria BIANCA

「捧げた先にあるもの」

 
シンプルな単色のファサードにパステルカラーの店内が夏の太陽の眩しさを連想させる。
イタリア人がお店をしていると聞くだけでイメージが出来上がってしまいそうだけれど、お菓子を作っているのは日本人で、出迎えてくれるのがイタリア人。
二人とも陽気なキャラクターで楽しそうに仕事をしていることが自然と伝わってくるのは、人柄が表れるのもまた料理の不思議な一面だから。
作り手が考えていることや辿ってきた道のりのエッセンスはお店という作品に散りばめられています。
そのひとつひとつが大切な結晶で、それらを全部含めてその人のお店であるということに意味を感じずにはいられません。
多様な人生の物語の中で人と人が出会うことについて。
運命とは図らずとも夢中になること、無意識の先にあるような気がします。

店主の古賀裕美さん、アンジェリーニ・ロベルトさん

つよがり

 

佐賀県での小学生時代、裸足で校庭を走らされるような昔ながらの教育だった。
そのわんぱくさは今も面影を残している。
その後、父親の転勤で大阪市内へ。
高校生の時、毎日のようにホワイトロリータ(ブルボン社)とピスタチオを食べていた。
お菓子好きがお菓子作りへの憧れに変わり、高校を卒業したらブルボンの工場で働きたいと思ったほど。
調べてみると工場が新潟県にしかなかったので、寒そうだからという理由でやむなく諦めた。
同時に将来の進路を考えた際、デザイナーや通訳の仕事に憧れはあったけれど、自分には到底できると思えなくて、ならば手に職をつけたいと好きなお菓子作りの仕事に携わる決意をした。
卒業してすぐにでも街のケーキ屋さんで働きたかったけれど父親に反対された。
というのも父親は食品卸しの仕事をしていて飲食業界の過酷さを知っていたので、娘を心配してのことだった。
その上、当時はまだまだ男尊女卑の風潮が残る時代だった。
人と違うことをしたい、ひねくれているという自覚は見事に親への反発となり、料理を学ぶつもりはなかったけれど調理師専門学校へ行くことで折り合いがついた。

愛という名の躾

 

調理師専門学校に入学したのはいいけれど、当時は製菓に特化したコースなどなく料理を総合的に学ぶことになった。
製菓の授業は一年で七日間だけしかなかったほど。
親への意地もあり初めての就職は街のケーキ屋ではなくホテルの製菓部門にした。
実際に働く現場は想像以上に大変で、周りに女性は一人もいなかった。
重たい荷物を持ち、手は荒れて、女子トイレも離れたところにある。
今では考えられないほど男女の扱いの差が激しかった。
飛び交う怒号に、理不尽と思われる言動は、愛という躾のもと日常茶飯事だった。
それでも続けられたのは自分の選んだ道を曲げたくなかったから。
また、がむしゃらにがんばれた大きな理由のひとつは、街のケーキ屋でも通用するような技術力を身につけて、父親に納得してもらいたかったから。

目標を持つ

 

ホテルでは約5年間修行した。
躾を受けた先輩と今も仲良しでいられていることに感謝をしている。
ホテルを辞めるきっかけになったのは同い年の友達が自分のお店を始めたから。
特に独立願望を抱いていたわけではなかったけれど、友達の行動を横目で見ていて羨ましいと思った。
私にだってできる。
目標が明確になることで少し未来が明るくなった。
それを叶えるために今何をするべきか。
お店をするにはサービスや雰囲気作りがどうあるべきかを知りたかったので、次にカフェへ転職した。
しかし過酷な労働環境はホテルのそれ以上で、拘束時間も長く、周りはすぐに辞める人がほとんどだったけれど、仕事そのものは楽しくてやりがいがあった。
でも挙げ句の果てにバイクでの通勤途中、寝ながら運転してしまっていることに身の危険を感じた。

 

頭打ち

 

次の転職は、ご縁があって当時は有名なイタリアレストランのデザート部門だった。
ケーキ屋とレストランではデザートの考え方が違うので、提供の仕方、盛り付け、美味しい状態など、学べることがたくさんあった。
人気店だったので日々大勢のお客様のデザートを作っていたけれど、ホテル時代の経験が活かされて仕事自体は難なくこなせていた。
しかし桃の下処理をしていたある日ふと、いつまで同じことばかりしているのだろう、と我に返った。
ここでも周りを見ればすぐに辞めていく人ばかり。
上の立場になると誰かに何かを教えてもらう機会は減っていく。
もっと技術的に学びたいことがたくさんあるのに。
最終電車を逃し、家まで自腹でタクシーを使って帰らないといけない環境にも不満を感じていた。
そんなタイミングでご縁があり、次はウェディングの仕事へ転職した。
ウェディングの現場は働く環境も良くてやりがいもあったけれど、ここでも自分の習得できるものがなくなっていくと、物足りなさを感じるようになった。
部下の質問にきちんと答えて教えることも学びではあったけれど、自分自身の向上心がそれを上回っていた。

キャリアを考える

 

すぐにでも自分のお店をしたい気持ちはあった。
しかしまだ自分の覚悟が追いついてなかった。
これからのキャリアを考えたとき、お菓子しか作れないことに不安もおぼえていた。
そうして悩んだあげく一度人生のリセットを決断する。
何ができるかを考え直した。
友達の会計士にこれからはパソコンが大事だと助言されてパソコンスクールにも通った。
そんな折、近所のお店のエスプレッソコーヒーの美味しさに開眼する。
その店主に教えて欲しいとお願いしたけれどイタリアに行ったらいいと断られたので、単純にイタリアへ行こうとイタリア語の勉強も始めた。
しかしそれまで生活費を稼がないといけない。
何かできることはないかと職を探していたとき、知人が尼崎市武庫之荘で「カサレッチョ」というイタリアンのお店を紹介してくれた。
そうしてまずはカサレッチョでアルバイトを始めることになった。
カサレッチョは下町の気取らないお店。
イタリア人のオーナーが経営をしていた。
イタリア語も学べるし、エスプレッソも学べるし、サービスの仕事も学べる、それにケーキ作りのお手伝いもできる。
目指す場所へのステップにちょうどよかった。
もうイタリアに行く必要もなくなった。

ロベルトとの出会い

 

ロベルトはイタリアで日本人向けの観光業としてタクシードライバーをしていた。
日本の文化が大好きなロベルトは、年に一度のペースで日本へバカンスで何度か来ていた。
はじめての関西、カサレッチョに食事で訪れたのも偶然。
その日はお客さんとして裕美さんと挨拶を交わしただけだった。
後でロベルトの勤める会社の社長が関西に住む日本人で、度々カサレッチョに訪れていることを知った。
またカサレッチョは日本人とイタリア人をつなぐ情報のハブ的な存在のお店だった。
ロベルトがタクシードライバーをしていることを知り、イタリアに行く旅行を計画しているお客さんに声をかけ、仕事を紹介してあげるようになったのをきっかけに親交が深まっていく。
日本とイタリア、昼夜が真逆なのもよかった。
仕事終わりに電話をして、仕事中の客待ち時間に電話をする。
いい意味でお互いにとって都合がよく、なんでも話せた。
毎年カサレッチョの休暇中にはイタリアへ観光にも行き、ロベルトと一緒にごはんを食べに行ったりと、徐々に心も交わしていくようになった。

一人で立つ

 

自分のお店をする夢を諦めたわけではないけれど、真面目で誠実なロベルトと人生を共にする選択をして、日本を離れ、キャリアを離れ、イタリアへ渡る決意をした。
また、その人生を捧げる決意にロベルトは心を動かした。
イタリアでは観光ガイドや通訳の仕事をしてジェラート店でも働いた。
なにもイタリア菓子への情熱がなくなったわけではない。
あくまでも相手に依存するのではなく自分の足で立つために、できることを必死で探した。
結婚することもイタリアに住むことも想定外だったけれど、与えられた環境に適応することは今までも得意だった。
むしろイタリア人と比べては劣等感を抱き、もっと強く生きたいと思えた。
そんな変化がいっぱいの人生もおもしろいと思えた。

提案

 

ところが2015年に起きたフランスのテロ事件で状況は一変する。
観光客の激減でタクシー業であるロベルトの仕事の継続が危ぶまれた。
それ以上に身の危険を感じた二人が下した決断はイタリアを離れて日本に帰ること。
ロベルトの仕事が心配だったけれど、何とか日本の会社で食品関係の仕事が見つかった。
そうして日本での生活にも慣れ始めた頃、ロベルトが不満を漏らした。
お互いの仕事時間が長くて一緒に過ごす時間がない。
このままでは気持ちがすれ違ってしまう。
時間のすれ違いを避けるため二人でお店を始めよう、とロベルトが提案した。
まだお店をする自信もなかったし、いきなり二人でやることはリスクが大きいと思い躊躇した。
しかしロベルトは何よりも裕美さんのお菓子を、その技術を、その情熱を、たくさんの人に知ってもらいたかった。

時間の共有

 

結果的にロベルトの提案が通り、二人でイタリアのエッセンスが詰まったお店を始めることに。
特別でなくてもいい、どこか気取らない家庭の味、日常使いで食べるようなジェラートやお菓子、イタリアの土地柄をよく知っているからこその得意分野だった。
裕美さんはお菓子作りに専念し、ロベルトは営業やサービスを担当してそれぞれ役割分担をした。
ロベルトの前職でのつながりがここで活きていた。
紆余曲折、迷いながらも歩んできた道のりのすべてがいろんなご縁で結ばれていることを実感した。
時に日本とイタリアの文化の違いで衝突もあるけれど、その意見の本質は互いを思いやった先にあるもの。
異文化を自らの人生に許容して生きていくという覚悟。
仕事の時間、家族の時間、どちらも大事なことには変わりない。
二人の交わる時間を増やせば、楽しさや嬉しさも同じように増えていく。
一緒にお店をすること、それは互いに人生を捧げるということ。

編集後記

 

突き放しては仲良くなるを繰り返す掛け合いに終始和やかな雰囲気でお話が聞けました。
結婚することもイタリアに住むことも想定外だったという裕美さん。
人生は予測不能でいつ何が起こるかわかりません。
その時その時で夢中になって目の前の出来事に向き合ってきた結果のご縁だったと何度も繰り返し話されていました。
自分のキャリアを捨ててまで人生を捧げるという決意があったからこそ、自然に委ね導かれ、またもとの道に帰ってきたようにも思えます。
とはいえ、お店を始めることがゴールではありません。
今までの軌跡がつながっていく過程においてただの通過点です。
この先も人とのご縁に感謝して連続する営みであることでしょう。
その中心にあるものが食であるということ。
食を接点に展開していく人生の拡がりは境界線を超えていきます。

( 写真 = 小林 祐実、文 = 大野 宗達 )


兵庫県尼崎市武庫之荘東1-16-1
営業時間 10:30〜19:30 (L.O.11:30〜21:30 )
定休日 木曜日

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