moulin

「自然と集まっていくもの」

 

温泉街から少し外れた場所にある、暮らしの中へ溶け込むように佇む平屋のお店。
茂る緑の入り口を進めば古さと新しさの調和がとれた空間が広がっている。
通された日本家屋の居間から見えるのは、庭の木々から零れる五月の日差し。
光と影のコントラストがいい塩梅にお店の世界観を醸し出していた。
今まで何を見てきたか、何を感じてきたか、その集大成がお店という形となって現れる。
記憶の奥底に残っているものの数々。
それらが意図せずとも自然に結びつき、全体を織りなしている様子はそれぞれに唯一無二な存在になる。
歩んできた軌跡を知ることで、また新しい輪郭が浮かび上がってくる。

店主の浦川祐介さん

ふわっと

 
子供が好き。
そんな理由で幼稚園の先生になりたくて大学では教育を学んだ。
空いてる日には、10歳年下の弟が所属するバスケットボールチームのコーチとして精を出した。
家庭教師のアルバイトもした。
生活に関わるすべては子供に何かを教えることばかりだった。
ところが、目指していたものは大学の教育実習で心が折られることに。
自由奔放な子供たちに対して、自分は男性性として細やかな配慮に欠けるのではないか。
幼稚園の先生に女性が多いことを納得した。
もしかして自分に教育業は向いてないのではないか。
この時、性質による仕事の向き不向きの問題だと解釈してみたら、幼稚園の先生はやりたいことではなくなってしまった。
いったい将来は何がしたいのだろう。
大学の先生には大学院を薦められていたが、振り絞って出た答えが料理を作ることだった。
うっすらと興味があった当時のカフェ文化やフランス料理や定食屋さん。
そこで働く人たちの大人な感じがかっこいい、漠然とした憧れのようなもの、料理を作ることは嫌いではない。
そんな理由で進路を変えた。

料理への道

 
大学はきちんと卒業して教員免許を一応取った。
フランス校のある料理専門学校がよかったので大阪へ向かう。
フランス料理を学んでいたらなんとかなるだろう、という安易な選択だった。
生まれてはじめて飲食店でもアルバイトをした。
そこは個人でやっているような小さなイタリアンのお店、料理の現場はなんだか大変そうだ。
在学2年目から半年間フランスへ留学した。
座学を含め、星がつくような有名レストランで実際に研修をすることができるというもの。
願ってもなく三つ星レストランに配属されることになった。

なにも足りない

 
レストランで実際に働いてみると、同じ環境には同級生もいる、現地のフランス人もいる、周りの人たちの料理を学ぼうとする真剣な姿勢に圧倒された。
張り詰めた空気感、飛び交う怒号、ほとばしる情熱、渾然一体となった料理の現場を体感してみて気持ちが滅入ってしまった。
自分はそこまでの技術もメンタルも情熱も持ち合わせていない。
履修を終え、料理に対する意欲を完全に喪失してフランスから帰ってきた。
またがんばりたいという気持ちよりも、もう追いつけないという気持ちの方が強かった。
これから料理でやっていける自信がなくなってしまった。

落としどころ

 
ひどく意気消沈したが次の進路を考えないといけない。
ただ今まで料理に費やした時間やお金を考えると、飲食業から離れるにはもったいないという気持ちがはたらいた。
自分で選んだことに対する責任、フランスで打ちのめされた感覚、ぐるぐると悩んで出した答えは、やっぱり飲食を続けたい。
本格的で立派な料理はできないけれど、好きなカフェごはんが作れるようなお店を大阪や福岡で探した。
そんな中でご縁があったのは、地元大分の結婚式場兼レストランのサービススタッフだった。
サービスの仕事も飲食業をする上では重要な役割。
いずれ役に立つだろう、経験しておいて損をすることはない。
本音では料理から逃げていただけかもしれないけれど、自分にうまく言い訳をして今までの葛藤にいい落としどころを見つけた。

再び

 

料理から離れサービススタッフとして従事する傍ら、調理場で働く料理人の姿を見てあらためて感心した。
そこで自問自答する。
このまま料理を諦めてしまっていいのか、自分は将来どうなりたいのか。
コーヒーにも関心が湧いてきた。
あの頃に抱いた、お店で働く大人たちのかっこよさにはずっと憧れている。
自分でお店をするならばと考えると、飲食の仕事をもっと俯瞰的に見れるようになった。
料理ができるできないではなく、お店をするためには何が必要か必要でないか。
目的をずらし定めることで視界が明るくなった。
そんなタイミングがいろんなことを引き寄せる。
自分のイメージに近いお店の雰囲気、自分の作りたい食事のジャンル、それらがフィットするようなお店、そこにちょうど人手不足だったボレロ食堂が当てはまり、採用してもらうことで再び料理と向き合うことになった。

言葉のちから

 
また料理をすることに抵抗はなかったし、すぐに馴染めた。
大変さも含めて、お店を運営するための学びがとてもたくさんあった。
ボレロ食堂の思想にも影響を受けたし、見ている方向性も似ていた。
そして何より仕事が楽しかった。
いよいよ自分のお店を持つことを考え始めるけれど、具体的なイメージがなかなか湧いてこない。
好きなことと、できることでどんなお店がしたいのか。
コーヒーが好きだったので喫茶店がやりたかったけれど、家族を養うには売上が立ちづらい。
そもそもやるのかやらないのか。
モヤモヤを晴らしてくれたのは、奥様の一言だった。

「やらないで終わるよりも、やってだめな方がいいんじゃない」

子供が小さいうちだったら失敗しても取り返せることや、年齢的なこと、あらためて料理をして自信がついたこと、他にもいろんな理由が重なりやるなら今しかないと意気込んだ。
奥様の言葉だけでなく、ボレロ食堂のオーナーも背中を押してくれた。

分け隔てなく

 
本格的にお店をするため場所を探し始めた。
大分市から近い慣れ親しんだ街、観光地であり土地の魅力もある別府にしよう。
夫婦で構想していたのは、託児所付きのお店。
実体験から小さい子供連れでも美味しい食事が楽しめるような場所を作りたいと思った。
そんな矢先に運よく今の物件と出会った。
古い建物だったが、どこか趣や情緒がある。
大家さんの空き家を再生したい考え方と合致、リノベーションして使わせてもらうことに決まった。
しかし実際に託児所付きのお店の改装や運営はコスト面で難しいと結論づけた。
それならば老若男女が集まる場所としてコンセプトはそのまま、大人も子供も分け隔てなく気軽に来てもらえるようなお店を作ろう。
そうしてタイミングの点と点が一本の線でつながった。

ありのままに在ること

 

お店の名前、フランス語「moulin」は、ルノワールの著名な絵画ムーラン・ド・ラ・ギャレットから名付けた。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットとは、フランスのモンマルトルの小高い丘にあったダンスホールの名前。
たくさんの人たちが集まり賑わう雰囲気、その風景がまさに求めるお店の理想像にシンクロした。
moulinという単語の翻訳である風車をモチーフに奥様がロゴをデザインした。
美味しい料理を提供することはもちろん、その場所があることでお客様は約束をするきっかけになる。
予約制や時間制といった制約をできるだけなくし、間口の広いお店でありたいと願う。
迷いながらも選んできた教育やサービスや料理などの経験。
すべての散りばめられた記憶が収束して今に活きている。
ただありのままに在るだけ。
待っていたら時折り吹く風が自然と集まり次の動力へとなっていく。

編集後記

 
苦手意識のあった配慮が自然とできる配慮に変わっていた。
お食事を終え細やかな配慮が隅々にまで行き届いている印象を受けました。
それは料理やサービスだけでなく、五感をくすぐるすべての要素が複雑に絡み合うことでお店の魅力が生まれているからだと思います。
温度、香り、音、時間、空気に至るまで、目には見えない、言葉にもできない感覚を心はきちんと受け取っています。
最後に「よかったね」と自然に言葉が漏れるのは、心がそう反応しているから。
お店の世界観は作った人の人間性の表れ。
意図せずとも結果的に自然と集まっているもの、それが心の求める答えなのではないでしょうか。
情報だけで判断するのではなく、実際に訪れ体験して感じることの大切さにあらためて気づかされました。

( 写真 = 木村 智美、文 = 大野 宗達 )


大分県別府市中島町12-9
0977-88-9180
営業時間 11:30〜(14:00 最終入店)15:30まで
定休日 月曜日、第一火曜日

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