シチニア食堂 

「気がつけば今日」


どこか安心感を与えてくれる独特の空気感をまとう二人。
その二人に引き寄せられるように自然と集まってくる仲間たち。
街の雰囲気をつくるのはお店、お店の雰囲気をつくるのは人柄。
そんな街とお店と人柄がひとつの線になったような物語です。

店主の板野シゲさん、チカさん夫婦

夢に向かって

音楽が好きだったシゲさんは高校を卒業後、クラシックギター奏者になる道を目指すためギター教室に通い、一人暮らしを始める。
生計を立てるために賄い付きの飲食店で、ホールやサービスのアルバイトをした。
夢はギタリストになることだった。
そのためにもいい音楽が聴きたくなって、次は生演奏のあるジャズバーの求人に応募したが、ホール業務には空きがなくキッチンなら採用できると言われ、しぶしぶながら働かせてもらうことにした。

共鳴

音楽が好きだったチカさんはPA(主に音響機器を扱う仕事)を目指し専門学校で学ぶものの、時代背景的にも業界は男性優位な社会構造になっている現実を知り、未来への希望を見出せず自暴自棄になっていた。
ちょうどその頃、シゲさんはバンドの活動をしたくてピアノが弾けるメンバーを友人に探してもらっていたところ、小学校の合唱コンクールでピアノを弾いていた記憶からチカさんを紹介されたのがきっかけで二人は出会って意気投合することに。
夢に向かっている前向きな姿勢のシゲさんがそばにいてくれたことで、あの時救ってもらえたとチカさんは振り返る。
自暴自棄から立ち直ったチカさんは、生活雑貨のお店でアルバイトを始めることに。
楽しいと思える仕事だったので正社員にもなり5年間務めた。
そしてこのまま販売員でいるよりもっと深くインテリアの分野を学びたいと思い、インテリアコーディネーターの資格を取った後、住宅設備機器のプランニングに関わる仕事に転職した。

料理を覚える

キッチンでアルバイトをするようになったシゲさんは次第に料理ができるようになっていく。
生演奏を聴く余裕もないほどに忙しかったけれど、覚えたての料理を家で作ってはチカさんに食べてもらい喜んでもらえたことが何よりうれしかった。
もっと美味しいものを作りたいという気持ちも芽生えてきた。
一方でギタリストになる夢もまだ追い続けていた。
小さなギター教室で一番になれるほどの腕前だったけれど、あるとき新しく入ってきた歳下の子に自分のポジションを奪われた。
幼い頃からの英才教育を受けたであろう技術を前にして、今からでは遅いのではという考えが脳裏をよぎった。
その歳下の子と先生と三人でユニットを組んで、公民館などを周っては少しばかりの収入を得るほどには活動をしていたが、一年も経たないうちに歳下の子がイギリスに留学することになったのでユニットは解散するに至った。
狭き門だとは重々に理解していた。
そのタイミングで夢をあきらめる決心がついた。

険しい道

他にできることといえば料理くらい。
チカさんにもっと美味しい料理を食べてもらいたいという気持ちが強い動機となった。
当時はイタリア料理が流行していたこともあって、個人でやっているような小さなイタリアンのお店で働くことに。
現実は決してあまくなかった。
休みはあまりないし給料も安い。
それでも修行のつもりで必死に料理を覚えた。
そんな小さなお店を5店ほど渡り歩いているさなか、次第に違和感を覚えるようになっていたのは、家で料理を作ってチカさんに食べてもらうことができていないということ。
よかれと思い料理が上手くなりたいと一生懸命だったけれど、翻弄される仕事に疲れてしまい家で料理をしない、たまの休みにはどこへも行かない。
ふと立ち止まることで二人で過ごす時間の大切さに気づかされた。
倦怠期も重なりこのままではいけないと労務環境の整った会社に転職することに。
その頃20代後半、周りから囃し立てられる結婚も視野に入れながら、料理の技術を磨くというよりも割り切って安定した給料と二人の時間をつくることを優先した。

心のせめぎ合い

大きな会社に入ってみたはいいものの、辞めていく従業員が多く、押し上げられるように早い段階で役職が上がり、マネジメントの業務が増えていくことで次第に料理をする現場から離れていった。
人の入れ替わりが早いのは、そこに悪しき慣習が蔓延っているから。
大きな会社とは名ばかり、以前と同じような環境が繰り広げられていた。
時間をつくりたかったのに、安定が欲しかったのに、何も変わってないどころか以前よりひどくなっている上に仕事でも家でも料理を作っていない。
それでも自分はどうしたらいいのかがわからない、選択肢がなかった。
挙げ句の果て、ついには襲いかかる現実に耐えられなくて黒い社会から逃げ出してしまったのだった。
自分を問いただす日々。
車でチカさんが勤める会社まで送迎をする日々。
約一年、必死で考えた。
自分が何をしたいのか。

・・・

やっぱり料理がしたい。
自分の作った料理で相手が元気になったり楽しくなったりしてもらいたい。
見えないところでだれかが無理をしているような料理は出したくない。
とはいえこの時、自分でお店をする発想は限りなくゼロだった。
小さいお店を渡り歩いた中で見てきた現実は、大変な労働環境と莫大な資金がいるという認識。
結婚という言葉も頭をよぎる。
それでも再び料理をすることを決意して、選んだ道は病院食だった。

遅れた青春と新しい兆し

病院食なら患者さんの命と直接関わることができるので、料理で元気になってもらえたら、楽しくなってもらえたらと、だれかの役に立っていることが肌で実感できる。
そう思っていた。
きちんとした会社員になれたことで、ようやく休みもしっかりとれるようになった。
今まで時間に余裕のない生活をしてきたので、やっと二人でデートをしたり、音楽ライブに行ったり、30歳になってはじめて付き合ってるという気持ちになれたと口をそろえて思い返す。
ところが病院食に携わるようになってから見えてきたのは、本来元気になるための食事のはずなのに食材からの活力が感じられない現実。
てっきり有機野菜や身体にいいものを使っていると思い込んでいた。
準備不足だったと後悔する。
転職先は病院食の一択だったよねと、
チカさんは当時のシゲさんを揶揄する。
理想とはほど遠い現実が苦しかった。職場の人間関係もギスギスしていて社員が辞めていっては、自分の役職がまたすぐに上がっていく。
自分の感じていることを正直に栄養士さんに相談して、一緒にいい食材を使った食事プランを実装させるなど、少しばかりのやりがいを感じつつも悶々とした日々を送っていた。
とはいえ休日を充実させていた二人は、自分たちの好きなことを形にしていきたいと思い立ち、個人でも参加ができるマルシェに出店をしてみた。
その時につけた屋号が「シチニア食堂」、まだお店をするなんて微塵も思っていなかったけれど、実際に体験してみたら楽しくて夢しかなかった。
チカさんは仕事に不満があったわけではないけれど、シゲさんの作るごはんが好きだったから、それをみんなに食べてもらえるお手伝いをしているのが楽しくて仕方なかった。

清荒神という街

話を少し戻して、チカさんの両親が二人の地元である吹田市(大阪府)から宝塚市(兵庫県)の中心部から一駅離れた”清荒神”という街に移住をしていた。
二人は結婚をしてどこに住もうとなった時に、シゲさんの新しい職場やチカさんの両親の近くでという都合もあって宝塚市の中心部に引越してきた。
時おり帰るチカさんの実家への道すがら、気になる廃墟の平家があった。
チカさんの心の中に平家に住みたいという憧れがあったので、草は生えっぱなしだったが建物の風情が気に入り引越しをすることに。
決して便利ではない坂道の多い住宅街のど真ん中、街並みにも特に何も感じない。
そんな印象が清荒神という街だった。

違和感から生まれる自分のやりたいこと

出店を繰り返しながら人生に楽しみを見い出していた二人。
ホームパーティーをしたりして、みんなで集まることも好きだった二人。
その風景が東日本大震災が起きたことでガラッと変わった。
遠くとはいえ同じ国で大変なことが起こっているのに、目の前の日常は平然と動いている。
それを見てチカさんは、このままでは心を失くしてしまうと違和感をおぼえた。
その直感が会社を辞めたいという気持ちに向かっていく。
大きな組織においては一人が携われるのは全体の一部分にすぎない。
マルシェへの出店やホームパーティーで発見したことは、ひとつのものができるプロセスに始めから最後まで関わる方が、楽しいし好きだということだった。
もっと自分がいいと思ったものを一から責任をもって届ける仕事をしたいと思った。
この時、はじめてシゲさんとお店をしてみたい気持ちが生まれる。
怖さはない、できる気がする、そうシゲさんに提案するとかえってきた返事は「ぜったいにない」。

すぐそばにあった種

シゲさん自身も震災が起きたことで、一度きりの人生を悔いのないようにしたいとは思ったけれど、渡り歩いてきた業界の大変さを目の当たりにしてきた体験が身体中に染み付いていた。
まだまだ腕に自信がない、費用が大きくかかる、それに結婚をした男としての責任もある。
チカさんはいったん引き下がるものの、口説いていればいつかはやるだろうと特に焦ることはなかった。
会社を辞めてからは、布を使って鞄を作ったりして”ものづくり”を始めた。
一から関われる楽しさに充足感はあったけれど、やっぱりシゲさんとお店がやりたい。
不思議なくらいシゲさんの料理に自信があった。
いつかのために三田や丹波篠山、清荒神の参道などの物件を見に行ったりもしていた。
しかし家賃は高く、とても自分たちの手の届く範囲ではない。
そんなアンテナを張っていた中で、ふと自宅の隣が空き家だったことに気持ちが向き始める。
いろんな点が線になってつながっていった。
閑静な住宅街の隠れ家っぽい雰囲気、知る人ぞ知るお店、費用もそんなにはかからない、もし失敗したとしてもやり直せる。
このタイミングでシゲさんも病院食の仕事に満足していなかったこともあって、とりあえず一回やってみようと、ようやく重い腰を上げたのだった。

夢中になって

震災から翌年の4月に満を持していよいよお店がオープン。
シチニア食堂としてどんな料理を出せばいいのか前日まで決めかねていたが、経験してきたイタリア料理をベースにパスタや、野菜をたくさん使った料理で元気になってもらうことをコンセプトとした。
チカさんはシゲさんの作る料理に絶対的な信頼を寄せていたので何も心配はしていなかった。
この頃は古民家をリノベーションしたようなお店も多く、結果的に時代に合っていたこともあって少しずつ口コミでお客様が増えていく。
そこからは今までの不安や心配事を考えて踏み出せなかったことが嘘のように、ただただ目の前のことに夢中になって進んできただけだった。
イベントに出店をしたり、イベントそのものを企画実行したり、好きなお店を楽しんでやっているうちに自然と周りのお客様や仲間が増えていった。
7年目には清荒神の駅前に2店舗となるテイクアウトのできるベイクとコーヒーのお店「KIKILUAK」をオープン。
これを機に、ようやく街のことも考え始めるようになった。
すでに二人では抱えきれなくなった仕事を仲間にも託し、一緒になって清荒神という街に新しい風を吹かせたいという気持ちを今も持ち続けている。

心境の変化

そんな時、新型コロナウイルスの流行と共に気持ちは大きく動くことになった。
決して広いとは言えない古民家のお店、お客様と近い距離での接客を心がけていた二人にとっては、心おきなくゆっくりしてくださいと言えない状況。
意に反する思いを抱えながらも持ち帰りメインのKIKILUAKは、コロナ禍での需要が高まり忙しくなっていった。
自宅の一部を工房にして生産量を増やすも追いつかない。
同じ時期に以前から話を進めていたアイスクリームとランチボックスがメインのお店「MELMILHI」を新しくできた芸術文化センターの一部にオープンしたが、こちらも持ち帰りメインだったので、生産量がさらに増えていった。
作ることに忙しくなったタイミングで、やむなくシチニア食堂の営業を一旦休業することにした。
この先ウイルスと向き合っていくのだとしたら今後シチニア食堂の再開はむずしいかもしれない、デリバリーやお取り寄せなど新しい方法でやっていくしかない、そう思った。
悩ましい思いを巡らせながらも、せっせと料理を作る手は動かし続けている。
ひとつの道筋が見えたのは、3店舗分の料理が作れるもっと広いセントラルキッチンのような場所がほしいということ。
シチニア食堂を移転させようと考え始めた。

声に応える 

移転をするなら愛着のある清荒神の一択。
チカさんが参道沿いにある全面ガラス張りの物件に興味を惹かれていた。
地下には広い空間があり、そのまた下には庭があり川が流れている。
この時には地下を客席で使うことは考えていなかったが、チカさんの中では明確に見えているものがあった。
シゲさんは今までのシチニア食堂とは真逆の雰囲気にイメージができなかったが、最終的にはその物件に決めた。
シチニア食堂が休業している間、ずっと聞こえてくるお客様からの再開を望む声。
テイクアウト中心ではなかなか見えないお客様の顔。
シゲさんの中にある原点は、自分の作った料理で元気になったり楽しくなったりしてもらいたい想い。
もっと近い距離でお客様と関わりたいというお店を始めた頃から変わらない二人の想い。
手持ちの資金だけでは移転するだけで精一杯だったので、地下の空間を客席として改装するためにクラウドファンディングに挑戦した。
予想以上の反響に、お客様から愛されていることをより実感した。
期待に応えたい、役に立ちたい、ただそう思いながら夢中になって継続してきたことの結果が数字で証明されたことにあらためて感謝の気持ちが溢れた。
クラウドファンディングで得た支援金を地下の改装費用にあて、無事に移転をしてシチニア食堂を再開させることができた。

自分のたちできる範囲で

再開を待ち望んでいたお客様と久しぶりの再会に、居心地の良さを実感する二人。
しかし、いまだに何もできていないという自覚を持つシゲさんは、まだまだ未熟者だと謙遜をする。
街を盛り上げる役割を牽引してるわけではないと話すチカさんは、リーダーなんておこがましいと謙遜をする。
特にゴールを定めているわけでもないし、いい意味で責任を感じているわけでもなく、各自のお店がそれぞれでがんばればいいと思っている。
大事にしているのは、自分たちのペースで、自分たちの価値観で、好きな人たちに囲まれて、好きなお店を続けていきたいということ。
求められることはうれしいが、今までは期待に応えすぎていた部分もあるので、これからはもっと自分たちの本当にやりたいことを研ぎ澄ましていく方向でいる。
スタッフも増え、できることも広がった。
まだまだやってみたいことがたくさんあるとワクワクしている二人。
導かれるように時を重ね、気がつけば今日。
そこに関わってくれたすべての人たちに感謝の気持ちが溢れている二人。

編集後記

二人とも音楽が好きという感性が互いに共鳴したのでは、と感じた。
たとえ無意識だったとしても小さなお店ばかりを選んできたシゲさんの経験と感性がシチニア食堂の料理の空気感をかたちづくり、インテリアコーディネーターとして経験を積んできたチカさんの時代を捉えるセンスがお店の雰囲気をつくっている。
シゲさんのつくる料理に絶対的な信頼を寄せるチカさんが、その可能性を最大限に引き出しお客様に提供しているという関係性のバランスが絶妙なのだ。
チカさんの精神には、みんな集まってみんなでやればいいというエネルギーが滲み出ている。
自分のできないことは誰かにお願いする。
一番はじめに巻き込まれたと笑いながら話すシゲさんはどことなくうれしそうな表情だ。
自分の弱さを自覚することで自然と支えてくれる仲間が集まってくる。
その素直さをもって、ただ目の前のことを夢中になって積み重ねてきた結果が今に過ぎない。
これからどこに向かっていて何が起こるかは、きっと誰にも想像ができないものだろう。

( 写真 = 板野 チカ   文 = 大野 宗達 )



シチニア食堂

兵庫県宝塚市清荒神3-14-13
0797-20-0714
営業日  日、月、火曜日
12時からと14時からの2部制(要予約)

KIKILUAK(キキルアック)

兵庫県宝塚市清荒神1-2-18
0797-81-1058
営業時間 9:00-17:00
定休日 水、木曜日

MELMILHI(メルミルヒ)

兵庫県宝塚市武庫川町7-64 宝塚市立文化芸術センター内
ランチ予約 melmi.yoyaku@gmail.com
営業時間 10:00-18:00
定休日 水、木曜日

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