「止まない探究心」
暖簾をくぐるとカウンターだけが並ぶこじんまりとした店内。
牛たん割烹と聞いてかしこまってしまいそうだけど、隠れ家的な雰囲気をまとうあたたかい装いは安心感を与えてくれる。
たったひとつの食材で勝負をする潔さ。
たったひとつの食材が魅せる深い奥行きと可能性。
まだまだ知らない世界が近くにある。
控えめな立ち姿からは想像できないほどの情熱をお持ちの店主さん。
その情熱の源、愛する牛タンについて思う存分に語ってもらいました。
牛タンに舌鼓
二十歳のころ、特に何をしたいかもわからず、たまたま肉屋に就職をした。
主に飲食店などにお肉を卸すような配送の仕事。
決して楽しい仕事だったとは言えない。
生活のために働いた。
飲食の世界に入ったきっかけは、配送ルートのうちのひとつであった牛タン料理店に卸すようになった時。
たびたび店主と言葉を交わしていくうちに、その生き方や哲学に惹かれていく今まで見たことのない自分がそこにいた。
牛タン料理を通して語られてくる店主の生き様が心に響いた。
あらためてお客様として食事をしてみると、生まれてはじめて食べる刺身や他の牛タン料理の複合的な味わいに思わず舌鼓を打つ。
この人についていきたい。
牛タンをもっと知りたい。
4年間勤めた肉屋を辞めて、その牛タン料理店で働かせてもらうことになった。
つらかった時期
料理も接客もしたことはない。
料理を始めるのにも年齢的な遅さが気がかりだった。
大学生のスタッフに包丁の使い方を教えてもらい、少しでも周りの足を引っ張りたくなかったので、家でも夜な夜な食べきれない葱を切る練習をした。
今まで配送の仕事で飲食店と関わりはあったけれど、実際その環境に身を置くことでより大変さが身に沁みた。
しかし、その大変さよりも師匠のこだわりを持って物事に取り組む姿勢を間近で感じていることの方がずっと楽しい。
やりたいことが決められずになんとなく生きてきたけれど、はじめて夢中になって努力をしている自分の姿がそこにあった。
これからずっとこの仕事でやっていこうと心に誓う。
足りない気持ち
3年である程度できるようになり、お店を任されるまでに至る。
その理由として、技術は追いついていなくても元肉屋としての目利きを信頼されたこともあるが、遅刻をしなかったこと、妥協しないこと、誠実に仕事と向き合っている姿を評価されたことがうれしかった。
飲食の世界に飛び込んでから5年の月日が経ち、技術に自信もついて自分のお店を持つことを視野に入れ始めた時だった。
牛タンの魅力に取り憑かれてからというものの、勉強のために各地の牛タン料理を食べ歩きに励んでいた中で、ある牛タン料理店の一品料理 ”茹でタン” に出会う。
他のお店の茹でタンとは比べものにならないくらい味や食感が今までに見たものとぜんぜん違う。
強い衝撃を受けた。
そのお店のような茹でタンを作れるようになりたい。
自分の勉強不足を恥じた。
突き動かされたのは独立ではなく、もう一度勉強し直したいという気持ちだった。
そこのお店で働けないかとホームページを見てみたら、ちょうどタイミングよくスタッフを募集していたので迷わずに連絡する。
そのお店がたまたま2店舗目を出店するタイミングだったこともあり、運よく働かせてもらうことができた。
割烹というニュアンス
そのお店で自分の納得がいくまで牛タンの技術を学び、3年間をきっちり勤め上げた。
いよいよ独立、地元でもある尼崎は武庫之荘という場所に迷いはない。
お店の名前は修行時代にすでに決めていた。
由来は自分の名前から。
仙台の牛タン料理店に多い、短いテンポの語呂を最大限にリスペクトしたものだ。
牛タン料理の専門店は全国にもそう多くない。
ここでしか食べられない牛タン料理を提供したい。
茹でタンをはじめ、いろんな調理法を学んでいく中で気づいたことは、ひとつの食材で広がるバリエーションの多さと奥深さは牛タンだけにある可能性だということ。
例えば、他の部位であるロースでは調理法が限られている。
牛タンは生食や焼きや煮込み、出汁もでる。
またタン先とタン元では硬さが違うので、適した調理法で使い分けられる。
しかし”牛タンづくし”と言ってしまえば、牛タンばかりで飽きてしまうイメージになってしまうのではないか。
牛タンを感じさせない食後感を堪能してほしい想いから、様々な調理法があるというニュアンスで”牛たん割烹”と掲げた。
ただ伝えたい気持ち
割烹と名付けて敷居を上げたいわけではない。
牛タンにこんな食べ方があるんだという発見をもっと知ってほしい。
根幹にあるのは牛タンの美味しさを伝えたいという気持ち。
気軽に食べてほしいからアラカルトでの注文も可能にしている。
その誠実な想いと地道な努力はお客様の心にも伝播し、次第に常連のお客様は増えていった。
黙々と一人で作業をするのも居心地がいい、今の仕事が天職だと思った。
食材を守るために
しかし、夜の営業が主体のお店、コロナウイルスの影響はとても大きかった。
そんな折、知り合いから空き物件の紹介がありテイクアウトができるお店として、少し離れた”塚口”という場所にお弁当屋「炭火焼き牛たん弁当よし家」を始めた。
売上のことも大きいが、何より懸念したのは牛タンの流通を止めないことにあった。
牛タンは今でこそ貴重な部位、人と人とのつながりがあって買えるもの。
お弁当で使用したり研究に使ったり、たとえ食べきれなくてもコロナ前と同じくらいの仕入れ量を維持することに集中した。
生産者あってこそ生態系の循環。
そのおかげで今も優先的に牛タンを卸してもらえている。
懸念材料
一説によると、戦後仙台に駐在していたアメリカ人が消費していた牛肉においてタンとテールは捨てられていたものらしい。
その部位を焼鳥屋の店主が目をつけ、牛タン焼きとテールスープの組み合わせで牛タン定食として販売したところ人気になったことで、仙台が牛タン文化の発祥とされている。
それくらい当時は安価な食材だったのが、今では高級食材となりつつある。
価格も年々高騰していて悩ましいところ。
多くの人に食べてほしいという気持ちと、値段を上げていかざるを得ない状況。
他にも安定した仕入れルートの確保、生産者との信頼関係、メニューの構成、日々考えながら牛タンと向き合い、お客様にとっての幸せを追求し邁進している。
目指す場所
知ってほしいからこそ気軽に食べてほしいけれど、割烹のニュアンスを研ぎ澄ますためにも牛タンのフルコース料理をもっと極めたいという目標があるのは、うなぎが日本文化に定着しているように、牛タンもその立ち位置にしていきたいから。
産地の違う4種類の牛タンを、脂のりや硬さによって調理法を使い分けている。
時間をかけて積み重ねてきた知識と経験、手間ひまをかけて作る料理への自負。
二人の師匠に教わった思想や技術をしっかり受け継いで、次の世代にも渡していきたい。
修行時代のメモ帳が宝物と語るほど、自分が培ってきたものはそう簡単に譲れない。
信頼できる人に託したいという願いの先には、いずれ子供にも継いでほしいという密かな希望もある。
できれば一緒に仕事をすることを夢に抱いて。
編集後記
目を輝かせながら、牛タンについて静かに熱く語る吉岡さん。
まだまだ知らないことばかりだと謙遜し、未知の世界を探究する姿勢は職人そのもの。
ひとつのことを極める作業は高尚で尊い。
茹でタンに惚れる人生なんて想像もできない。
でもその想像を超える領域に辿り着くからこそ見える景色は、きっと自分だけが知る美しい世界に違いない。
食事をする体験が唯一世界をつなぐ橋渡しとなり、心に残る感動を享受できるのだろう。
家庭で作るにはハードルの高い牛タン料理。
やわらかく煮込むように時間をかけて熟成された世界観をその場で感じてほしい。
牛タンと心中するくらいの気持ちで向き合っている人の作るお料理をぜひ一度食べてほしい。
( 写真 、文 = 大野 宗達 )
兵庫県尼崎市武庫之荘1丁目9-11
06-6436-1881
営業時間 17:00-22:00
定休日 水曜日
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