「地に足のついた営み」
都市部の駅から近いビルの最上階。
天井が高く開放感のある店内、落ち着いた雰囲気、大きな窓に広がる空、そこはまさにレストランという言葉がぴったりなしつらえ。
光岡さんは事業家として一つのお店を運営されています。
個人店という表現も曖昧であるけれど、たった一人の思いから情熱が派生して周りが協力をし一つの形となっていく様が、“表現の場としてのお店”である以上、その違いは本質的にほんの小さな差分に過ぎません。
店舗運営だけでなく、有機野菜を軸にして多岐にわたる活動を同時並行で行っているのは、一貫して農業や自然に関わることが「生」を実感できる源流であるから。
その流れの中にいて、生産者とお客様をつなげるという役割で社会貢献している姿勢が興味深いと思いました。
いろんな挑戦を繰り返しながら得てきた経験を通じて、今この景色はどう見えているのでしょうか。
きっかけの根
佐賀県出身の光岡さんは自然のど真ん中で幼少期を過ごした。
地面に土があること、手を伸ばせば生きものがそばに在ること、太陽の光も風の匂いも川の流れる音も、自分の身体のすぐ向こう側が生命との接点だった。
食に対して特別深いこだわりや原体験こそないものの、もっと大きな意味合いで人間は自然に生かされているという感覚が、この頃から記憶の奥底にしっかりと根を張っていた。
大学進学で大阪へ。
将来のビジョンが明確ではなかったので、自分の生きる目的を考え始めた3回生の頃、もっと広い世界を見るために各地を旅行した。
その中でもメキシコで感じたことが印象深く残っている。
観光客に物乞いする現地の子供たち、自由気ままに旅行を楽しめている自分たち。
個人の能力とはまったく関係ないところで動いている現実の差を目の当たりにした。
生まれた環境がほんの少し違うだけで人生の道が決まってしまうなんて。
そこに強弱も優劣もないはずなのに。
自分の恵まれた境遇を何かの形で少しでも還元したいと思った。
将来は誰かの役に立てるような仕事がしたいと思った。
また在学中にIT企業のインターンで得た学びも今の原動力となっている。
トップ経営者の道を切り開いていく姿勢や溢れんばかりのエネルギーがカッコよくて強い憧れを抱いた。
自分も同じように一から新しい事業をやってみたいと思った。
とはいえ、明確なビジョンは見つからないまま周りと同じように就職活動を行い、東京の外資系企業に内定をもらう。
ひらめき
入社するまでの間、なんとなく気持ちの整理ができていないまま過ごしていると、そこへ一条の光が差し込む。
友人とカフェで話している時、有機農業を応援する仕事があるということをはじめて知った。
実家が農家だったわけでもなく、今まで農業に関心があったわけではなかったけれど、話を聞いた瞬間から有機農業というキーワードがなぜか頭から離れなかった。
有機農業で何か事業ができないだろうか。
思いつきの範囲にしては、無性に心がざわついている。
自らの内側で育まれていた生を実感できる関わりを大切にしたい思い。
あの時旅先で得た誰かの役に立てること、社会に貢献したい思い。
自分の力で新しい道を切り開いていきたい思い。
それらの分散していた思いが、いっせいに「有機農業」という一つの言葉に集約された。
抑えられなくて
大きな気づきであったにも関わらず、具体的な道筋は見えず内定をもらっていた東京の会社に就職する。
都会、人混み、コンクリートジャングルの中にいると、今まで身近にあった自然が
気づかぬうちに遠のいていく。
仕事にやりがいはあったものの、有機農業への関心がずっと胸のうちでくすぶっていた。
いても立ってもいられない気持ちと、いろんなきっかけが重なり会社を一年で退職することに。
将来のことはわからない、具体的な計画もない、それでも内側から突き動く情熱が止められない。
そんなモヤモヤの結晶が形となり、奥様の実家に近い関西は神戸で、有機野菜を販売するお店として自らの事業をスタートさせた。
人間がいきいきと生きることは農業や自然、生命に根ざしたものであるに違いない。
その時に抱いた確信が人生という海に錨を下ろした。
リスペクト
実際に初めての業界へ足を踏み入れてみて、生産者が作る美味しい野菜の向こう側にあるストーリーがお客様に伝わりきっていないことにもどかしさを感じた。
生産者の自然や生命と向き合う一生懸命な姿勢が愛おしかった。
自分が野菜を通してできることはなんだろう。
どうしたらお客様に生身の人間が手間ひまをかけて作物を育てる農業という素敵な仕事を知ってもらえるだろう。
有機野菜の販売する場所をただの通過点にしてしまうのはもったいない。
お店の存在意義を農家さんとお客様をつなぐ物理的な流通の場所で終わらせるのではなく、もっと深い部分で互いの心が通い合えるような場所にしたいと思った。
広義な意味での事業目的は、生産者への敬意と生の実感を忘れないこと。
そこへ辿り着くまでの手段を、野菜を販売すること以外でアプローチできないだろうか。
その方法を試す道のりがここから始まった。
知ってもらうために
お店を始めて2年後には、近くにあったオーガニックカフェと合併して有機野菜が購入できるカフェとして活動した。
ファーマーズマーケットなどのイベントも積極的に企画・開催した。
少しでも多く生産者と消費者が関われる場をつくり、そこで接点が生まれること。
伝えたいことはたくさんあるけどまずはそこから。
土壌を耕さないことには作物も美味しく育たない。
きれいごとだけでなく事業継続のために、資金繰りにも細心の注意をはらった。
既存のビジネスモデルでは難しい部分が多々ある。
次に、兵庫県が資金的サポートをしてくれる有機農業生産者支援NPOのリーダーとして指揮をとった。
実店舗としてのアンテナショップを運営したり、新規就農する人たちにアドバイスをしたり、有機農業の素晴らしさについて講演をしたり、お客様が生産者の畑へ実際に訪れて農業体験できるツアーを組んだりと、思いつく限りのことは何でも試した。
しかし、県からのサポートは3年という期限付きだった。
みんなのお店
期限を迎えたが決していい結果を出せたとは言えなかった。
もう県からのサポートは受けられない。
それでも今までつながってきた生産者やお客様との関係性をここで失うわけにはいかない。
そう判断して事業内容を引き継ぎそのまま独立することに。
たくさんの応援者の出資があってファームアンドカンパニー株式会社を設立した。
中でも株主の3分の1が生産者の協力だったのは、みんなで一緒に作っていこうという気持ちの表れだった。
受け取った気持ちと強い責任を背負って、レストラン「野菜ビストロ Legumes(レギューム)」は始まった。
あの時の決意から目的は何ひとつ変わっていない。
生産者の生業に貢献できること、生を実感できること、それを伝える場があること。
さらに気持ちを料理で表現できるため、お客様の反応が直接的わかり、喜びも同時に共有できる。
思いを届ける場所としてレストランというスタイルは最適だった。
思いは変わらない
お客様がレストランの料理に美味しさを感じたとしても、その食材の生産者のファンになってもらうことはそう簡単なことではない。
互いの距離を縮めるための課題はまだまだたくさんあった。
自らはサービススタッフとして従事する傍らで、思いを発信するため様々な活動に取り組んだ。
その中でも、「兵庫食べる通信」は新しい取り組みだった。
同じ名を冠したものは震災から生まれた東北を起点に全国数十ヶ所あって、仲間として兵庫県の運営を代表することに。
生産者の物語がコンテンツになった冊子と特集の食材が、定期的(年4回)に自宅に届けられるというもの。
レストランだけでは補えなかった生産者とお客様のつながりがより深く生まれたことに手応えを感じた。
その他、マルシェの企画運営やトークイベント、コロナ禍におけるオンラインレストランや交流会の開催、いずれも生産者とお客様をつなぐハブ的な立ち位置で誠を尽くしている。
生産者が潤うために何かできることはないかと企画を考え、それを実行し、思うような成果が出なかったらまた次の企画に挑戦する。
その営みのすべてが自然の恩恵から生まれるエネルギーに根ざしていることは、今も昔も変わらずこれからも続いていく。
編集後記
目指している方向が私たちの活動と同じだと思いました。
生産者なのか、お店を作る人なのか、どこに焦点を当てて世界を捉えているかの違いです。
何かを生み出している人たちのストーリーをもっと知ってほしい、伝えたい、届けたい。
それは食だけに限らず何においても深く知り、思いを馳せ、考えを共有することは人と人が心地よく関わる上でとても大切なことだと思います。
そう頭ではわかっていても時にそれを見失ってしまう。
それでも発信の手を止めずに、いかに振り向いてもらえるきっかけをつくれるか。
光岡さんの歩みはそれを叶えるためのアプローチの軌跡でした。
( 文 = 大野 宗達 )
兵庫県西宮市高松町5-39 なでしこビル8F
0798-65-3211
営業時間 11:30〜15:00、17:30~22:00
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