HIPANI

「たゆたえども、しなやかに」


はじめて訪れたのは、うっすらと月が見えるまだ明るい夜のこと。
夕闇がガラス窓に映るこじんまりとした店内に、料理と会話の交わる音が響き渡る。
まだ話していないのにそこに流れる空気を感じて、何か特別なこだわりを持って料理と向き合っているとわかるのはなぜだろう。
直感。波長。センス。
共感とは、気づけば自然と出会っていることを指すのかもしれない。
料理から広がる世界、食は自然界と密接に関わり合っていて生命の根源にあるようなもの。
辿り着いた場所が”生”であるならば、それもまた必然として引き合う共感ではないのか。
そんな食の奥深さに魅せられたひとつの物語です。

店主の引田力雄さん

狭い家

兵庫県芦屋市で生まれ育った引田さん、10代はサッカーと武道に明け暮れる少年時代だった。
周りの影響でなんとなく大学に行き、なんとなく経営を学んだ。
3回生の頃、社会人になってスーツを着ている自分の姿がうまく想像できなかったので就職活動をする気にはなれなかった。
これからどうして生きていこう。
男ばかり3兄弟の長男、狭い家の窮屈さが不憫に思え、とにかく大学を卒業したら家を出ようと決めた。
空間への憧れ、反抗心、自分の人生は自分で選びたい。
この頃から独立心が醸成されていたのではと当時を振り返る。
卒業後、あてもなく闇雲に家を飛び出し神戸で一人暮らしを始めた。

開放

はじめはフリーターとして神戸北野のバーで働いた。
お酒も覚え、見える世界は新鮮で開放的。
外国人のお客様も多い地域で、混沌の中、入れ乱れるようにして夜な夜な騒いだ。
フロアに鳴り響く音楽、心地いい雰囲気、時代性も象徴されるそんな場がとにかく楽しかった。
朝まで遊んでは不健康な生活を送り、今までの窮屈さを吐き出すかのようにがむしゃらな毎日だった。
同じお店で長く勤めていたこともあって、20代の後半には店長を任されることに。
イベントの企画をやるうちに経営の裏側が見えてきてビジネスがおもしろいと思うようになった。
自分でお店をやりたいと思い始めてきた30歳の頃、バーを経営していたオーナーが撤退するタイミングで引き受け、そのまま同じ場所でレストランバーを始めた。
料理はまったくできなかったので20歳の料理人を雇うことに。
はじめてのお店で40坪という大箱だったが、慣れ親しんだ常連様の応援もあって経営はなんとかなった。
若さも味方して朝から晩までとにかく一生懸命働いた。

心の変化

お店は順調だったが、次第に30歳を過ぎて朝まで無茶をして働いてる自分が怖くなってきた。
いつまでもこんな不健康な生活はやってられない。
身体に不調があったわけではないけれど、静かに違和感を覚えはじめた。
同時に、料理を作れるということに憧れが生まれていく。
一緒に働いていた若い料理人をずっとそばで見ていてた影響は大きい。
引き出しの多さから組み立てられていく変幻自在の料理の数々。
自分の手から作品を生み出していることがかっこいいと思えた。
違和感の隙間を埋めていくように料理への興味関心が高まっていった。
お店のあった北野界隈も時代の変化と共に、飲食の需要が下降しているのを肌で感じていた。
お店を始めて3年が経った頃には、若い料理人が他店に引き抜かれることに。
受け入れていたので後悔はなかったが、本格的に料理をしたいという気持ちが熱を帯びていたので、心機一転をはかり人通りの多い三宮の駅近くに移転を考えた。

狭い街から

神戸という街はコンパクトなので人と人とのつながりが濃い。
よって知り合いで回る経済圏でもあるので、移転をしてもやっていける自信はあった。
応援してくれるお客様も移転を望んでいた。
でも本音は料理を人生の中心におきたいという気持ち。
人付き合いが重点になると料理に集中できないのではないか。
いっそのことだれも知り合いのいない場所でやってみたい。

10代の頃から旅が好きで日本各地や海外へよく訪れていた。
行く先々で知らず知らずのうちに積み重なっていた地域の食文化への関心が、新しい方向に光を照らした。
移住を決めたのはその中でもお気に入りの街だった新潟県長岡市。
人生の岐路、勇気のいる決断だったが周りの意見よりも自分の内なる気持ちを優先した。
未知なる場所へ、不安と期待と覚えたての料理を携えて、慣れ親しんだ街を飛び出した。

料理から広がるおもしろさ 

真新しい土地に足を踏み入れたのは、しんしんと雪の降る日だった。
思いついたらすぐにやってしまうタイプ。
はじめからどこかの料理店で修行をするわけではなく、自分のお店を構えると決めていた。
とにかく料理を作りたかった。
根拠はないが自信はあった。
お店の名前は「ROJO(ロジョー)」、スペイン語で”赤”という意味。
雪国で新参者が目立つために内装も外観もすべて赤色に染めた。
ベースはイタリア料理店、物珍しさもあってオープンして1年で商売は軌道にのった。
休日には、もっと料理の学びを深めるため、東京都内まで足を運び食べ歩きに勤しんだ。
料理の奥深さやおもしろさはもちろん、そこから広がる世界は新しい発見ばかり。
ナチュラルワイン、バイオダイナミック農法、パーマカルチャーなど、今まで知らなかった何もかもに衝撃を受け感動した。
今まで感じてこなかった食材の持つ魅力や背景の文化に引き込まれた。
新潟に行ったことで料理の方向性が確立されたと振り返る。
環境の変化によって感性の扉が一気に開かれた。

芽生える気持ち

地方におけるコミュニティの在り方に触れたこともまた新鮮だった。
今までは実家や神戸の街に対して窮屈さを感じていたが、地域独特の結束力の強さには不思議と違和感がなかった。
それは移住者としての視点があったからだと分析している。
むしろ新潟の人の地元を愛している姿に度々触れることで、次第に敬愛のような感情が育っていった。

そんなタイミングで母親が病に伏した。
弟が近くにいたのですぐに帰ることはしなかったが、急に何かあったらともどかしさは募るばかり。
このままでは後悔すると思い、結局は実家のある芦屋に帰ることに。
新潟での約9年間の滞在で人生観は大きく変わった。
料理というレンズを通して見えた本来の自然と人間らしい営みの風景。
それにずっと住みたいと思えるくらい長岡の街が好きになった。

形のない形

地元の芦屋に帰ってきて自分の料理が通用するか不安はあったが、やっぱりまたお店をしたい。
すっかり考え方が変わってしまったので人で賑わう場所はもう選択肢になかった。
何よりも地元に帰ってきたことになぜか心が落ち着いた。
決めた物件は商売をするのに決していい場所とは言えない2階の店舗。
納得のいく範囲でお店を作りたかったので設計図からDIYまでのほとんどを自分の手を動かして作った。
お店の名前は以前と違ったやわらかなイメージで「HIPANI(ヒパニ)」と名付けた。
黒人音楽がルーツである”粋な”という意味を持たせた”HIP”と、ネパール語の”PANI(水)”を合わせた。
どこかで料理の修行をしたわけではない。
自らの行動と経験によって積み重ねてきた独自のスタイルは、常に洗練させて決してとどまらず流れるようでありたいと店名に想いを込めた。

動きながら考えていく

地元に帰ってきてお店とは別に丹波篠山のある古民家を手に入れた。
具体的な計画はなかったが、食と密接につながっている農業の在り方にすっかり傾倒してしまったので、この場所で何かできるのではないかと思った。
そこで少しずつ土を触りながら野菜や果実を育てて自分の料理にも紐づけていきたいと考えている。
自らの経験を通じて蓄積された環境や健康についての知見を、押し付けにならないように発信できる場としても活用する予定だ。
やってみたいことや知りたいことがまだまだたくさんある。
体験してみてはじめてわかる自分ごと。
時代によって変化する価値観にしなやかに順応していくように。
旅をしていろんな地域の食文化に触れた感覚は唯一無二なものとして自分の中に宿っている。
そのエッセンスが今の料理のスタンスであり、人生のスタンスへとつながっていく。

編集後記

狭さという言葉がこの物語の中で重要な役割を担っていると感じました。
窮屈さを抱えた感情の行き場はよくも悪くも何かの原動力になる可能性を秘めています。
それに気づける感性の高さが料理の道に向かわせたのは自然な流れかもしれません。
目の前のことに夢中でだった若い頃も、現在の食に対する前のめりな姿勢も、楽しいことを追いかけているという点では同じこと。
とにかく心と身体の関心が向かってる先にとりあえず歩みを進める行動力。
そこから望む景色はいつもと違って見える世界。
ロゴを傾けると見えてくる三日月は、そんな引田さんの人生そのものを形容しているようでした。

( 写真 = 引田 力雄   文 = 大野 宗達 )


兵庫県芦屋市呉川町1−9 2F
TEL 0797-25-2344
ディナー 18:00 – 22:00 ( L.O. )
定休日  月・火・水曜日

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