堀江発酵堂

「いのちの風が吹くほうへ」


カフェや雑貨店が立ち並び、思い思いのファッションに身を包んだ人々が行き交うオレンジストリー ト。
大阪・堀江の真ん中で、思いがけず懐かしい香りに足を止める。 和と洗練が光る落ち着いた空間で、玄米を炊きお味噌汁の出汁をとる女性たち。
「お料理のご説明をしてもいいですか?」
運ばれたお膳に添えられた言葉に、ひとつひとつの料理に込められた想いがほどけていく。
ひと際熱心な表情を見せるのは、女将の稲田さん。
彼女の生き方は、ちいさな疑問の種を起点として時折風向きを変えながら、吹き抜ける風のような 清々しさで満ちていた。

オーナーの稲田 翔子さん

生きる指針

稲田さんは、4 人兄弟の上から 2 番目。
大手住宅メーカーを創立した祖父を持ち、裕福な家庭で育つ。
幼いころから、おじいちゃんのはなしを聞くのが好きだった。
戦争のはなし、経営のはなし、仕事の選び方のはなし。
大きくなってあちこちを気ままに飛び回りながらも、ふいに実家に帰ってはいろんなはなしに耳を傾 けた。
「人になにか言われても、ほんまにそうなんかなって考えや。 自分がそうやと思わへんことはわかるまで聞いたらいいよ。」
新しい時代を切り拓いた祖父が、口ぐせのように言っていた言葉。
その教えを、稲田さんは物事と向き合うときの「核」として授かる。
勉強が好きで高校生活を楽しんでいたが、思春期の心のなかで未来への疑問の種が芽を出した。
高校でがんばったらどういう人生が待っている?
この先に待っている楽しいことを知りたかったけど、稲田さんの問いかけに対する先生の返答は「高校を出たら大学へ、そして就職できる」というもの。
思い浮かべた未来はありきたりで、ここで勉強する必要性を感じられない。
格式高い家で時々感じる窮屈さから、家族に養ってもらうのではなく、自分の力で生きていきたいという想いも抱いていた。
1 年生で高校を辞め、ひとりで東京へ旅立った。

ほとばしるエネルギー

背伸びをして必死で働いた東京の街。
自分でお金を稼ぐ大変さを身をもって知った。
同時に、わたしは好きなことしかできないということ、そしてお金がその未来を助けてくれるという気 づきを得た。
ゴールや目的が見えているものが好きと語る稲田さん、スイッチが入るとそれを実現するためのエネルギーはすさまじい。
大阪へ戻って北新地で夜の仕事に就くと、働きながら学び、どんどん「好き」であふれた道を突き進 んでいく。
お酒の奥深さに惹かれてバーの経営学校に通い、老舗店で修業した後、ショットバーとダイニング レストランの経営者となる。
さらに、美容と東洋医学への関心からずっと勉強していたエステについて、学びを深めるためタイへ留学。
体質改善を交えた、タイ式エステとよもぎ蒸しのサロンを構え自ら施術も行う。
若さと勢いで自分の信じるほうへ走り続けて、見つけた未来はとても楽しかった。

食事が身体をつくる

一方で、夜が中心の生活。
外食も多くなり、華やかさや楽しさとは裏腹に身体は悲鳴を上げていた。
免疫力が低く病気に罹ってばかり。
特に気がかりだったのが、女性の月の巡りだった。
半年に 1 度の月経という大幅な乱れにも関わらず、病院へ行っても薬を処方されるだけ。
ほんまにそうなんかな。
病気になってから治す以外の方法ってないのかな。
30 歳になる前に子どもがほしくて、疑問を原動力として夢中で調べていく。
そのなかで出会ったのが、マクロビオティックだった。
外国から来たおしゃれなものというイメージを抱いていたが、実際は戦前から日本に存在した「食養 生」(身体を整えるための食についての考え方)を基礎にして生まれた食事法。
日本人の桜沢如一氏が、海外で「マクロビオティック」という名で普及させ、食の欧米化とともに病の 増加した日本に逆輸入のようなかたちで伝わったものだと知る。
まずは玄米とお味噌汁を食べるようにしたら、1 週間ほどで便秘が解消された。
生活習慣は変わらず、変えたのは食事だけ。
食事が身体をつくるということを、言葉どおり体感する。
本格的にマクロビオティックを学ぶと、毎日食べているだけで薬になる伝統的な日本食の素晴らしさに魅了されていった。

母となる


食事がもたらしてくれたのは健康だけではなかった。
悩みだったサイクルが整い、稲田さんは念願の子どもを授かる。
新しい家族の未来のために、ありとあらゆる本を読み勉強した。
神様がつくってくれた自然のものはすべて完璧にできあがっているのに、自らつくり出した科学的なものによって自分自身や環境を壊し苦しんでいる人間。
生まれてきたこの子と、どんなごはんを食べたらいいのだろう。
子どもからお年寄りまでが安心して食べられるものが売っているお店があればいいのに。
そんなお店をつくって食事の大切さに気づく人が増えたら、免疫力が上がる。
腸内環境が整えば精神的な安定に、よい食材を使うことは環境を守ることにもつながる。
そういうことを広めていける場所。
さまざまな社会問題はひとりで解決できることではないけれど、ひとりがはじめてみたら意外と変わるきっかけになるかもしれない。
何より、わたし自身が本当に身体にいい食べものの真実を知りたい。
稲田さんは、ショットバーとダイニングレストランを一緒にやってきた仲間に譲り、新しいお店をつく ることにした。

オレンジストリート

やるなら、こっそりやってもだめだ。
食に興味のない人がやってきて、食事に対する感覚が変わったり興味を持ってもらえるような、きっ かけづくりができる場所でやりたい。
自宅やエステサロンからも近い、この堀江の中心を通るオレンジストリートに決めた。
そんな矢先、服屋だった物件に空きが出て、スケルトンにして全てをつくり変えた。
漆喰や天然木、無農薬の井草に伝統的な染色を施した畳など、外から触れるものも身体によいものをと素材にこだわる。
マクロビオティックのお店はカフェが多いが、そもそもは日本の伝統食。
お茶碗を手に持ってお箸で食べる、日本のごはんのスタイルを大切にした。
日本的で定食屋らしい印象だけど、モダンなデリカテッセンのショーケースや装飾で、若い世代が足を踏み入れやすい雰囲気をつくっている。

きっかけづくり

女性やカップル、家族連れ、お年寄り、男性のおひとり様、ピアスとタトゥだらけの若者グループ、病を抱えるかたなど、いろんなお客様が訪れ、隣り合わせて食事をする。
なかには、周りに飲食店が少なくて「このお店でいちばんジャンクな料理を」と言って入ってきたお客様が、ごはんとお味噌汁の美味しさにおかわりしてくれたこともあった。
健康的な食事に全く興味のない人が触れるきっかけになることに、この堀江という場所を選んだ手応えを感じている。
料理を提供する際に、ひとつひとつのおかずの栄養素について説明するのはお店のポリシー。
少しでも知識に触れることで、暮らしに取り入れてもらえればと願っている。
1 杯のお味噌汁の美味しさから、お客様が発酵食に興味を持ってくださる喜び。
何を食べるかで人生は大きく変わる。
それでも、食べるものを変えるにはきっかけが必要。
口で言っても変わるものではなく、気づく人が気づいて、いいなと思った人が少しずつ変えていけばいい。
そのきっかけになればとお膳を運び続ける。

バランスの取り方

自分の人生に必要だと思ったら、とことん追求して生きてきた。
好きなことを思う存分やってきて、身体を大切にすることの価値に気づいた今、重きを置いているのが自分自身をコントロールするということ。
現代の食が抱える課題は深く、手を出そうと思えば食に限らず、医療や教育、さまざまな社会問題に派生していきそうになる。
持ち前のエネルギーでのめり込みすぎてしまいそうな自分を客観視してバランスをとる。
そのための稲田さんらしいかたちが、子どもという愛おしくも不自由さを伴う存在の母であること。
幼い子どもとの暮らしは、正義感を抱く暇がないほどにとても忙しい。
ゴールは料理教室でみんなに日本の伝統食を伝えるおばあちゃんになること。
商業施設などへ店舗を増やすお誘いもあり、調味料づくりのワークショップに、自然栽培の野菜マルシェを開いたり、食に関わることでやりたいことはまだはじまったばかり。
4 人兄弟のなかで育ったから、目指すは 4 人の子どもの母。
掌の中にある幸せを感じながら、食事に愛を込めること。
あの若き日に感じた未来への疑問の先にあったのは、とても優しい日々の積み重ねだった。

編集後記

目の前に運ばれたお膳に並ぶ料理が美味しそうなのはもちろんだけど、お茶碗のなかのごはんを見てこんなにも「美味しそう…」と思ったのは初めてのことだった。
稲田さんのお話を伺うと、その理由がよくわかる。
よい生産者が手塩にかけて育て、想いを込めて丁寧に炊かれるお米は、こんなにもエネルギーをもっているのだということ。
それもそのはず、稲田さんご自身がエネルギーにあふれた生粋の経営者気質。
食べたものが身体をつくり、あらゆる人生の選択をおじいさんから授かった指針がつくっていることが伝わる。
スタッフにも求めることは想いを共有すること。
面接では、なにもできなくていいから食に対する想いの部分だけを話してもらうという、その姿はまさに熱意と愛にあふれている。
取材を終え、ミニボトムでママチャリに乗って、颯爽と立ち去る姿がなんとも印象的だった。

( 写真、文 = Yuki Takeda )


大阪府大阪市西区南堀江1-15-17
06-6541-8111
営業時間 11:00-19:00

https://www.horie-hakkoudou.com/


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