アジアごはんとおはぎ善

「好きなことをかさねていく」


観光地である金沢市の中心地からは少し離れた住宅街に位置するアジア料理とおはぎのお店。
独特の香りが漂う店内でスパイスが効いたスープのフォーをいただき、おはぎで〆る。
組み合わせの不思議、話を聞かずにはいられない。
アジア料理が好き、この仕事が好き、それらをご両親が好きで作ったお店に時間や想いを幾重にもかさねていく。
そんな他の誰にも真似できない唯一無二のお店の物語です。

店主の真田貴史さん、彬乃(あきの)さん

幼い頃からの風景

真田さんの父親は、祖父が立ち上げた製あん会社に勤めていた。
3歳くらいまでは製あん工場の2階で育てられた。
幼心ながら周りに映るのは、家族が仕事をしている風景。
父親は子育ての手も離れた50歳の頃、機械ではなく鍋で炊いた自分のこだわりの”あんこ”が作りたいと、家業に勤めるかたわら母親と一緒におはぎのお店「甘宿善」を始めた。
会社の倉庫として使っていた自宅を改装した。
鍋で炊くメリットは、粒が残り小豆の風味も感じられ鮮度がいいところ。
もっと”あんこ”の本当の美味しさを知ってほしいと、手仕事に情熱を傾けた。
あくまでも真田さんの父親が好きでやり始めたこと。
お店を継いでほしいという気持ちがあったわけでもなく、自分の人生だから好きなことをやればいいというメッセージだった。

気ままに過ごしていた時期

真田さんは高校を卒業後、東京に行きフランス料理店で勤めた。
料理はあくまでも趣味的な位置づけで、そこに深い理由はなく飲食に関わることがただ楽しかったし好きでやっていた。
20代前半はタイにハマったのをきっかけに諸外国をバックパッカーとして旅をして、日本に帰って働いてはお金を貯めてまた旅に出る、そんな日々の繰り返しだった。
その中でもタイの屋台料理を再現して作るのがおもしろかった。
ちょうどその頃に父親のお店はオープンしていて、おはぎ以外に軽食もやっていたので手伝うことが度々あった。
24歳の頃、自分の好きなアジア料理を表現してみたくなり、父親のお店の空いてる夜の時間を借りて「ダイニングバー善」として営業を始めることに。
飲酒運転の規制もゆるかった時代、お酒もたくさん出てお店は賑わった。
奥さんのあきのさんとの出会いもあり結婚をして子供も生まれ楽しい時間を過ごしていた。

比べてみてわかること

時々あきのさんに手伝ってもらったりもしながら10年の月日を経て感じるようになってきたのは、このままではいけないという気持ち。
お店の場所や経営のこと、ある程度好きなようにできていたのは両親が作ったお店があったからこそ。
親に甘えてばかりもいられない、大黒柱としての責任も自分の家族に指し示したい。
今まで目的もなく気ままに生きてきたから、自分に何ができるんだろうと頭を悩ませた。
ふと好きなアジア料理の系譜でもあるラーメンがどのようにして作られているかが知りたくなったのをきっかけに、ダイニングバー善を閉めて、実家の手伝いも辞めてラーメンのチェーン店に転職した。
30代も半ば、転職先には若くて元気な子がたくさんいて物怖じもしたが、負けたくないという目的意識が芽生えたのは初めての体験だった。
実家の手伝いをしている以上は競う相手がいない。
同じ土俵で戦っている仲間がいることがとても刺激になった。
目標であった店長にもなり、ラーメン屋で3年間働いてみたけれど、自分でラーメン屋をしたいとは思わなかった。

父からの伝言、母の気持ち

外の世界を見たことで経営の大切さや現場のオペレーションを学べた。
何よりも父親がどんな思いでお店を始めたかが少しわかったことが大きい。
父親から望まれていたわけではなく、自分の意思で実家のお店に戻った。
そんなタイミングで父親が大病を患ったこともあり、真田さんはお店の経営を任されることになった。
今まで通りおはぎは提供していくものの、作ることも食べることも好きなアジア料理を中心のスタイルに変更し、お店の名前も「アジアごはんとおはぎ善」として再スタートした。
お店ができてからずっと父親があんこを作り、母親がおはぎを作ってきた。
母親は父親が作ったお店を変えられることをあまり好ましく思っていなかったそうだ。
あるとき父親は、真田さんにこう言った。
「あんこを炊いてみろ」 
突然にあんこの作り方を教えてもらったのだった。
その後、一緒にあんこ作りに励むも父親の病気は悪化の一途をたどり、それから一年後に他界した。
偶然のような、必然のような、父から子へ、お店とあんこ作りの技術が引き継がれた。

父がよく言っていた「たかが おはぎ されど おはぎ」

低迷期と業界の難しさ

真田さんが料理とあんこを作り、母親とあきのさんはおはぎを作り、数人のスタッフとお店を回していく。
和菓子はひとつ当たりの単価がとても安いもの。
たくさん作らないことには利益を出すのが難しい商品だった。
料理と併用しながらなんとかやりくりをしながらも、当時は発信力や知名度も低かったので売り上げが思うように伸びず、お店をやめるという選択肢が何度もちらついたと振り返る。
なにより自分たちの作る価値に自信が持てなかった。
悪循環だけが空回り、辞めていくスタッフもちらほら、風通しのよくない現場の空気感にもみんなが疲弊していた。

あきのさんの葛藤

 

あきのさんは高校生のアルバイトの時から飲食を経験していて、接客がずっと大好きだった。
結婚をしてからもすぐにお店の手伝いを育児のかたわら献身的にしていたので、内情は誰よりも理解していたつもりだが、どんどんと仕事が楽しくなくなっていく。
それにおはぎを継ぐ気持ちだったわけでもなかった。
仕事もプライベートも夫婦で一緒にいすぎたのではないか。
このままの状態では何も変わらないと思い立ち、料理の勉強がしたかったこともあって、もう戻らない覚悟でお店を辞める決断をした。
真田さんはあきのさんの提案をはじめはこころよく思っていなかったけれど、手伝ってもらえることが当たり前になっていたことや、ずっと一緒にやってきたことへの自負を反省した。
最終的にはあきのさんの提案を渋々と受け入れて送り出すことになった。

自家製の無添加レモングラスヒマラヤ岩塩ラー油

違う景色を見たこと

あきのさんは家業の手伝いを辞めて、知り合いのお店で働かせてもらうことに。
今まではどちらかというと経営者目線で世界を捉えていたけど、スタッフ側の目線になってみると新しい発見がたくさんあった。
スタッフの気持ち、職場の雰囲気づくりがお客様にも伝わること、そしてあらためて見えた自分のお店のいいところ。
家業だからと、ただ手伝っていたような感覚だったのが、次第に自分がもっと先頭に立ってスタッフが楽しく働ける職場の環境を作りたいと思えるようになってきた。
なによりも大好きな飲食の仕事の楽しさをスタッフにも伝えて一緒に喜びを分かち合いたくなった。

転機の訪れ

ある時「マツコの知らない世界」というテレビ番組の取材があり、おはぎ特集の時に自分たちのお店がテレビで紹介された。
更新を滞っていたインスタグラムのフォロワーが番組の放送中にどんどんと増えていく。
その出来事をきっかけに翌日からの営業は一変。
おはぎは普段の10倍の量が売れ、店頭には行列もできた。
テレビの宣伝効果はすざましいものだった。
あきのさんはお店とは別の場所で働いていたので、母親が一人で連日大量のおはぎを作ることで対応した。
そのタイミングで新しい気づきを得たあきのさんがお店に戻り、手伝うという感覚ではなく先頭に立ってお店をひとつにまとめ、積極的に情報発信にも力を入れるようになった。
メディアの恩恵もあって、お店の経営が立ち直ったのだった。

自分たちの覚悟

お店もまとまり、ずっとお店を守ってきた母親ともいい形でバトンタッチができて、あきのさんがおはぎ作りを担当することに。
父親と母親が始めたお店を、真田さん夫婦へとうまく世代交代できたものの、あくまでも自分たちだけのお店という認識ではなく関わるスタッフ全員にとってのお店という意識でありたい。
かといって経営者とスタッフが近くなりすぎない距離感を大切にしながら、みんなが参加している実感を持てるような環境をつくっていく。
そんな前向きな気持ちが次の行動に向かわせたのは店舗の改装だった。
今まではアジア料理とおはぎを同じ空間で提供していたけれど、スタッフの動線を鑑みてそれぞれを別の空間で販売してみたい。
父親が言っていたように、お店やおはぎを守らなければいけない責任はないけれど、結果的に後を継いでいる因果は親子で表現したいことが同じだったのか、それとも知らず知らずのうちに影響を受けていたのか。
その答え合わせは続いていく物語の中で見つかることだろう。

20年も前に父の斬新なアイデアから生まれたアーモンドココナッツ
リニューアル後のお店

編集後記

真田さんもあきのさんもそれぞれが一度、外の世界に出ているところがお店の在り方を物語っていると思えた。
視点を変える大切さ。
普段の慣れ親しんだ生活の中にいると人はどうしても視野が狭くなってくるもの。
どの環境で何を見て何を感じるか。
そこで吸収したものを自分のフィルターを通してどう表現するか。
慣習に固執しすぎないご両親とうまく融合しているところがまた特別なのだ。
メディアに取り上げられたことが幸運を引き寄せているけれど、あんこに注ぐ情熱の基盤や味がしっかりしていたからこそ、巡ってきたチャンスをつかめたのだと思う。
あきらめずに続けてきたこと、受け継いだお店を頑なに守る使命感よりもうまく時代に合わせてアップデートしている前向きな姿勢が二人の ”らしさ” をかもし出しているようだ。
3人の子供たちは真田さん夫婦の背中を見てどう感じているのだろう。
大人になった時にまた伺って話を聞いてみたい。

ー追記ー

取材をしてから2年後、金沢に再訪してお二人と食事を囲み、お話を伺った。
予想通りなことも、予想できないことも、お店をしていたら変化はつきもの。
その変化を前向きに捉えている姿勢が見ていて頼もしい。
翌日、食事にも訪れ、改装を経てリニューアルしたお店は、すっきりとした空間になり、また違う雰囲気になっていた。
大事にしていたスタッフとの関係も、一緒に歩んできた道のりも、また違う空気を纏っていた。
スタッフ各々がお店にとっていいことを目的に主体性を持って動いていることが伝わってくる。
教育に正解はないけれど、教育者の想いが“本物”ならば、その愛は言葉から、態度から、空気から自然と伝染していくのだろう。

( 写真 = 真田 彬乃   文 = 大野 宗達 )


石川県金沢市神宮寺2丁目10-11
076-251-1060
営業時間 11:00-15:30
定休日  日、月曜日

https://zen.jp.net/

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