TANE

「探す旅路」

 
街全体を覆う温泉の香りと、お店に近づくにつれ鼻先をくすぐるスパイスの香り。
店内に漂うやさしい質感はきっと店主さんの人柄に違いない。
提供しているのは、南インド料理である“ミールス”というお米、複数のカレーや副菜をそれぞれに混ぜて、その妙味を楽しむというもの。
混ぜ方次第で味が変化するので、食べ手に美味しさの責任を委ねられているようだけれど、どう混ぜても不思議とバランスよく口の中で味わいが広がる。
そして主に野菜を中心としているので、食べ終わった後も胃にやさしい。
店主さんが毎年行きたくなるほどインドという国に惹かれる動機や、その経緯と料理の奥行きが知りたくなった。
インドには長い歴史をもつ料理や文化や宗教を超えた先にある、人間にとって根源的に大切な何かが秘められている気がした。

店主の太田豊茂さん、美沙さん

戸惑い

生まれも育ちも京都の太田さん。
家にあった地球儀には、父親が若い頃にバックパッカーとして旅をした足跡が所狭しとマーキングされていた。
少なからずその風景に影響を受けたことや、英語への関心、漠然と海外に興味があったので、大学では国際経済を学んだ。
将来のことはさておき、キャンパスライフを謳歌し、留学や料理店でのアルバイト、音楽好きからDJとしての活動に日々を自分の好きなことで埋め尽くしていた。
しかし就職活動の段階では、先に進めば進むほど違和感が増していく。
相手の求めている答えを用意する感覚。
自分に嘘をついているような感覚。
腑に落ちないモヤモヤは蕁麻疹さえ引き起こす始末だった。
最終的に就職活動を諦め、特に希望する会社もなかったため、当時アルバイトをしていた外資系アパレル会社に誘われ、大学を卒業後、正社員として働くことになった。

今しかできないこと

販売の仕事は楽しかった。
接客の経験もあり、お客様との会話が好きで、サービス業のおもしろさを感じていた。
外資系という能力主義の会社の体質も自分に合っていて、やりがいを感じていた。
3年ほど勤めたとき、店舗の入っている百貨店がなくなることを聞き、上司から異動の提案があったが、ちょうどいいタイミングだったので迷わず会社を辞めることにした。
というのも無性に、衝動的に、海外への興味が抑えきれなかった。
将来の不安よりも今しかできないことを優先した。
数ヶ月間、タイやカンボジアへ。
大学生のときの留学とはまた違う感覚でのバックパッカーの旅はとても新鮮で刺激的だった。
その時知り合った友達とは今でも続く付き合いがあるほど、ひらかれた感性で出会う人たちに心が躍った。

充実と引き換えに

 

旅から帰ったあと、友達がカフェを立ち上げると聞き、手伝わせてほしいとお願いし一緒にやることになった。
その友達が運営を任せてくれてたのもあり裁量権の自由度が高く、何よりも接客が楽しかった。
店舗の規模感もあり、フリースペースでは貸しスタジオとして使ったり、企画やイベントを考えたり、DJとして大好きな音楽に関わったりと、充実した毎日を送っていた。
その反面ジャンキーな食事であったり、お酒を飲みすぎていたり、朝まで活動していたりと身体は少しばかり悲鳴を上げていた。
そんな折、カフェの業績も順調でちょうど2号店の話が持ち上がっていて、30歳を目前としたとき「このままでいいのか?」と自問自答した。

瞑想との出会い

そんなタイミングで、知り合いの彼女がインド帰りでブッダも悟りを開いたとされるヴィパッサナーという瞑想法を体験してきた話を耳にした。
直観ですぐさまその瞑想法を体験したい衝動に駆られた。
インドにはすぐに行けない。
調べると日本ヴィパッサナー協会のセンターが京都にある。
迷わずに10日間の体験に申し込んだ。
センターに籠り、日々その瞑想に浸る。
瞑想を終えたあとの感覚は世界が見違えるほどだった。
菜食中心に変わり、食事の量も減り、身体が改善され、生活リズムの大切さを痛感した。
この体験が現在の考え方のベースにもなっている。
そしてたまらなく瞑想やヨガなどの世界に興味が湧いてきた。

自分にとって

気持ちが傾いたまま以前の生活に戻り、カフェの2号店を始めてしまえば、すぐに辞められなくなってしまう。
海外に行きたい、現地で瞑想やヨガの勉強がしてみたい。
意を決して自分の正直な感情に従った。
このときルールや枠の中で収まる人生より、やっぱり自分で自由に選択できる人生がいいと思えた。
一緒に始めた友達にはきちんと理解を得て、旅行ではなくしばらく生活をするつもりでタイのチェンマイに向かった。
朝はヨガ、昼からはタイマッサージを習った。
出会う人や環境の変化の中で、「食」、「環境」、「精神世界」のキーワードが自分にとって大切にしていきたいことだと確信した。

旅をしたまま

そうしてタイで過ごしているときに東日本大震災が発生した。
インターネットもままならない環境で入ってくる情報はどれも曖昧だったので、しばらくはそんなに大ごとではないと思っていた。
しかし日に日に悲惨な情報が耳に入ってくる。
地震に慣れていない現地の人は今日本に帰らない方がいいとアドバイスをくれる。
どこまでも不確かな情報に自信が持てず、タイに滞在できるビザの期間もわずかだったので、日本に帰らずマレーシアに向かった。
その後はなるべく帰らないようにと、マレーシア、スリランカ、インド、トルコ、ヨーロッパ諸国、とお金はギリギリ、仕事もしながら各国のビザが使える限り滞在した。
特に4ヶ月間滞在したインドでは、ミールスという料理に、その思想や宗教観に強く惹かれた。
旅をしながら、特に原発問題の意識が高まったこともあり、もっと食と環境について深く考えていきたいと思った。

兆し

いよいよ日本に帰国となり、今の気持ちに近い職場を考えたとき、真っ先に環境保護に力を入れている「パタゴニア」が浮かんだ。
当時日本支社が鎌倉にあったので現地まで直談判をしに行ったほど。
ちょうどパタゴニアがフードプロビジョンズという食への取り組みに力を入れるタイミングで、京都に店舗ができるというのでアルバイトで働かせてもらうことに。
同時に、オーガニック農業を推進している「坂の途中」でも働き、かけもちで仕事に精を出した。
やりたいことが先走り一年を駆け抜けたあと、しっかり休めていなかったこと、もう少し事業規模の小さい方が自分に合っていると思った。
もっと生産者や消費者と距離が近く、顔が見える範囲で食や環境に関わりたい。
自らが思うように発信する場をつくるためにできることは、その経験からインド料理店を始めることだった。
背筋が伸びるような感覚は、同時に結婚を決意したタイミングでもあった。

目的のために

奥さんの美沙さんとは、大学生の留学のときから友達で、ヴィパッサナー瞑想をきっかけに交際するようになったほど関心領域がとても似ていた。
今の環境を変えたいという想いの一致は、二人のお店を開く、と同義だった。
同じ目的に向かうために足りないのは開業資金。
二人ともそのために約3年間働いた。
畑違いに思える営業の仕事も接客の練習だと解釈していたので、決して嫌ではなかった。
途中、広島にも転勤した。
美沙さんはマクロビオティックやビーガンの飲食店で経験を積んだ。
資金の準備は整ったけれど、その前にもう一度自分たちの考えの根っこを探究したい。
その後の1年間は、開店準備としてインテリアの買い付けや、料理の勉強のためにもインドを含め二人でアジア諸国を旅して周った。

思いもよらない

いよいよお店を始める段階になったとき、美沙さんの実家に近い大分県は国東市に移住をしてやることを決心した。
しかし思うような物件が探しても探しても見つからなかった。
見つかるまでは単発のイベントに出店したり、別府の貸しスペースで半年通しの間借りをしたりと認知を広めていった。
別府では物件を探していなかったし、考えてもいなかったけど、長く過ごしているうちに、人と土地の豊かさが感じられるちょうどいい場所だと思えてきた。
不思議とご縁がつながりを導いてくれる。
今度、美容室だった店舗に空きが出るという知らせが舞い込んだ。
大分に移住して一年。
いつまでも店舗を持たずにイベント出店だけでは生計が立てられない。
その間は美沙さんが別で仕事をしてくれている。
そんなモヤモヤと悩んでいるタイミングで妊娠がわかった。

覚悟とその先

別府で店舗をかまえてやってみよう。
大家さんの好意もあったし、今まで関わってくれた人も背中を押してくれた。
二人だけでできる規模でいい。
今まではフラフラと生きてきたけれど、自分の最小単位が家族となり、責任を背負った感じがした。
その土地で暮らしていくという覚悟が決まった瞬間だった。
子供が生まれて2ヶ月後にお店をオープンした。
お店で仕事をしながら子供をおぶっては寝かせ、互いに協力しながらも、自分たちのやりたいようにできる環境がうれしかった。
全部ではないけれど顔の見える生産者の食材を使う。
たくさん伝えたいこともあるけれど、押し付けにならないよう日常のごはんでそれを表現していく。
オープンして一年後にコロナが流行ったが、むしろ家族の時間が増えたし、こうでないといけないという常識から解放された。
自分のやり方でいいんだ、今その環境があることが幸せだった。

プリミティブな動機から

インドには毎年3人で訪れるようにしている。
(コロナ禍では行けない期間もあった)
目的は料理の勉強はもちろん、ヨガや宗教にも関心があって行く。
宗教というフィルターを通して見る現地の料理はどこまでも奥が深い。
それに近年目覚ましい経済発展の裏側で、現地にも環境を意識した同じ立場の人たちがいて刺激を受けては自らも奮い立たされる。
毎年行きたくなるほどインドに強く惹かれるのは、きっと人間のルーツがあるから。
人間にとって大切なことは国も人種も関係ない。
文明が進んでいるとか遅れているとかも関係ない。
ありのままであること、自然体でいられること、誰にも心を侵害されてないこと、社会の一員でありながらも社会や時代の波にのまれてないこと。
相手に手を差し伸べたり、親切にしたり、寛容であったり、助け合って生きたり、利他的であったり。
インドはそんな人間にとっての根源を教えてくれ、訪れる度に立ち返らせてくれる場所。
だからどれだけ時代が変わろうとも、これからやっていくことの本質は一貫して何も変わらない。

編集後記

 

おそらくどんなルートを辿っても近いうちに現れる太田さんの存在感。
そう思える理由はどこまでもわからないものだけれど、ハピネスメーカーという名称がふさわしいような気がしました。
周りの人を楽しませ、やわらかく包み込んでくれるような感じ。
それが人間の根源を探究した先で身につけたものなら、なおさらインドという国が興味深く思えました。
決して周りに流されず、社会に対する違和感を諦めないで、選んできた人生の終着点が食であるならば、まさに食が人間と自然の関係を問い直してくれるからだと思わずにはいられません。
根源にうずまくカルマが食を媒体にして立ち現れる。
そうしてつながっていく関係性に、食は世界の共通言語なんだと再認識しました。
太田さんの探し続けたいその内なる気持ちが、顕著に店名に表れているのではないでしょうか。

( 写真 = 木村 智美、文 = 大野 宗達 )


大分県別府市駅前本町10-2
080-3950-3457
営業時間 11:30〜16:00(12時迄お席の予約可)
定休日 火、水曜日

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2 Comments
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はかせ
2 months ago

TANEさんのミールス、言葉にならないほど美味しかったなぁと思い出し、再び味わうように拝読しました。
時代の波に埋もれてしまいがちな人間の根源性のところ、すごく共感します!

善意が循環する社会活動を理想としています。
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