souriante

「つなげて、つなげて、ここにきた」


駅の南口を降りれば昔ながらの商店街が見える街並み。
少し脇道に入ると見えてくる赤いテントの小さなお店。
飾り立てるわけでもなく街に溶け込むような佇まいに、少し開けた向かいの観音様がお店を見守っている。
カウンターに腰をかけ注文をして音と香りに耳をすます。
届いたサンドウィッチから溢れ出る生命のエネルギーを頬張ると、自然とあたたかい気持ちになれるのはきっと店主さんが放つ魅力に違いない。
その不思議について店主さんは微笑みながらこう語った。

店主の千葉恵美子さん

きっかけはタイミング

 

卵ひとつ割らないような生活をしていたOL時代。
なんとなく職場環境における男女の待遇の差に違和感を感じていた。
どれだけがんばっても仕組み上、会社の中で自分の行きたいところに行くには時間がかかる。
流れの中で生きるのではなく、もっと日々を大切にできるような仕事がしたい、そう思った。
会社を退職して大規模なお菓子教室のアシスタントの仕事を始めた。
お菓子作りは未経験だったので必死に練習をしたけれど、その世界にはうまく馴染めなかった。
そんな折、六甲山のレストラン「オーベルジュド コム・シノワ」荘司シェフに出会い、料理と人柄に触れたことで今まで見ていた世界が180度変わった。
シェフの笑いながら楽しそうに仕事をしている姿、そこに集まってくる人は一体どういう人たちなのだろう。
その人間性にとても興味がわき、もっと近くで深く関わりたいと思った。
たまたま荘司シェフが手がける同系列のパン部門である「ブランジェリー コム・シノワ」の募集をしていたので、お菓子教室のアシスタントを辞めて新しい扉を叩いた。
お菓子は言っても特別な日のもの、より毎日のものであるパンに興味が生まれたし、荘司シェフとの出会いで料理をすることそのものが楽しくなっていった。

カウンターならではの距離感

激動の中の献身

 

パン屋さんで働くようになり、直接荘司シェフと関わることは少なかったけれど、その理念は各店舗まで行き渡っている。
ブランジェリー コム・シノワの西川シェフもまたカリスマ的存在で、荘司シェフの料理感覚をパンと融合させて数々の斬新な作品を生み出し、当時の業界を賑わせていた。
千葉さんは販売をする傍ら、OL時代の能力を買われたのか、事務仕事をしたりパン作りの仕事をしたり、全体を見渡せるどのポジションでもこなせる多様な能力を発揮していた。
同時に、人気店であったため忙しい毎日が目まぐるしく訪れ、人の入れ替わりが多い環境の中、千葉さんがいろんな空いたポジションを穴埋めする役割になっていった。
多忙を極める西川シェフの講習会のサポートや、出版物のレシピ書きや写真撮影、世界大会の準備の際には出張に付いていったりと、千葉さん自身も多忙な毎日を送っていた。
西川シェフのそばで共に行動していたこと、その考え方や屈強な精神に直接触れていたことは今後のメンタルを形成していく上でとても大きな財産となった。

当時、パンに新しい概念を取り入れたコム・シノワ
https://www.comme-chinois.com/

小さいお店にしかできないこと

 

シェフのサポートをしながらも普段はコムシノワの本店である小さな店舗を任されていた。
お店の拠点となる神戸には個性豊かな海外の人も多い。
「クラムチャウダーに合うパンは何がいい?」や、
「チーズを買ったから合うバケットを探してほしい」など、気さくに話しかけてくれる。
小さいお店だからこそお客様との距離も近く、コミュニケーションも自然と生まれる。
お客様にいろんなことを教わり、関わり合い、共に育ってきたという実感が自分にとって心地よかった。
この時の経験を通して、自分の目が行きとどく範囲でお客様に声をかけあえる距離感は、現在のお店作りの原点となった。

気配りが感じられる素材の組み合わせ

人柄に惹かれる

 

荘司シェフと西川シェフ、二人は違った個性にもかかわらず共通していることは、最初に感じた通り”楽しそうに仕事をしていた”ということ。
二人とも休日という概念がないほど仕事を楽しんでいたし、千葉さん自身もそれに合わせるように、その都度与えられた仕事は必死にこなしながらも楽しさが勝っていた。
しかし歳を重ねるごとに体力も落ちてくる。
今後のことを考えて感性をもっと伸ばしたいと思っていたので、集中力が落ちてくる前に辞めたいと会社には言っていたけれど、人一倍責任感の強い千葉さん、いろいろと仕事は舞い込んでくる。
宣言してから5年、西川シェフが独立するタイミングでようやく辞めることができた。
結局、約10年間もコムシノワに全身全霊を捧げた。

複合的な美味しさが重なり合う

休息と転機

 

次にやりたいことがあって退職をしたわけではなく、とにかく身体を休めることに集中した。
その間は、今まで関わってきた人のつながりで様々なアルバイトをして考える時間にあてた。
約4年間の休息を経て、コムシノワ時代に出会った六甲「弓削牧場」とのご縁があり、そこのレストランで働かせてもらうことに。
またやってみたいと強く惹かれたのは、弓削牧場の場長の考え方や生き方、人間性への魅力だった。
牧場で作ったチーズを表現する場としてのレストラン、生命が循環していくシステム作り、そのひとつの物語は現在のお店のテーマにもなっている。
いつだって自然と人柄に心惹かれていくのだった。

弓削牧場のレストラン「チーズハウス・ヤルゴイ」

自然からのメッセージ

 

牧場で働き始めてからはカルチャーショックの連続だった。
自然の雄大さ、流れる時間、四季の変化。
今まで街で見てきた世界とはまるで違う景色がそこには広がっていた。
夕方になれば自然が心を癒してくれ、追い込んでくる時もあった。
自然は素晴らしい。
土や野菜や酪農に触れ、生命と直に対峙をして、頭ではわかってたつもりになっていたことが自らの身体で感じることで、より生命に対して感謝の気持ちが大きくなった。
そんなある時、人生を揺るがすような悲しい出来事が起こった。
それでも自分を失わずにすんだのは、周りのあたたかい人たちに支えられ、生命をそばで感じていたこのタイミングだからこそだったと振り返る。

神戸を代表する弓削牧場
https://www.yugefarm.com/

積み重ねた先に見えたもの

 

弓削牧場に在籍していた最後の方に怪我をすることがあり、一度立ち止まって考える機会があった。
今まではお店のためや、誰かのために全力で身を捧げ向き合ってきた。

自分は本当は何がしたいのだろう?

集めてきた経験がつながった先にひとつの答えが見つかった。
自分のお店を持ちたい。
コムシノワ時代に学んだ、野菜を中心とした食材の組み合わせで、その季節にしか生まれない偶然性を大事にしたサンドウィッチやパンのあるお店。
お客様に細やかな気配りができる距離感の近い規模のお店。
弓削牧場で学んだ自然の恵みや地産地消の大切さを、知ってもらったり興味を持ってもらうきっかけとなるようなお店。
自分だけが経験してきた道のり、自分にしかできないこと。
物件を探してからは早かった。
わずか10日でゆかりのなかった甲子園口という場所に導かれるようにして決めた。

二つのあたたかさ

お店に込めた願い

 

物件の決め手は空が見える場所で圧迫感がなかったこと。
お店作りは仲間が手を差し伸べてくれて、ぼーっとしている間にお店ができたと笑いながら話す。
店名である”souriante”とは、フランス語で”にこにこ笑ってる”という意味。
悲しみを乗り越えて笑顔でやっていきたいとの想いが込められている。

また、千葉さん自身が感じてきた経験から、がんばる女性を応援したい気持ちが強くある。
OL時代に受けた境遇、女性がお店を持つにしても厳しかったあの頃。
今でこそ制度は充実していてお店を始めやすくなったものの、もっと仕事がしやすい環境を整えていきたい。
夜にお店を貸したりして少しでも女性が活躍できるきっかけになればと未来予想図を描く。
ロゴマークのモチーフとなっているのは、木を連想させるもので、まだ千葉さん自身が根を張る段階だと謙遜をするが、やがては実を結び、がんばる女性としての象徴である鳥がその実を運んで羽ばたいていく姿を夢見ている。

想いがデザインとして表出するロゴマーク

編集後記

 

何かを叶えるために、まずは自分がしっかりしないといけないと戒める立ち姿が凛々しい。
その佇まいはいろんな経験をしてきた深みが凝縮されているようでした。
今までのエッセンスをつなげてここにきたと話す千葉さん、偶然のようで必然のような結果は、ただ必死で今を生きてきた先に見つかったもの。
きっかけはなんだってかまわない、嬉しいことも悲しいことも集約されて唯一無二の個性が生まれ、お店という表現に辿り着いたひとつの集大成なのだ。
人間性に惹かれ、自然に触れ、お客様と関わり、自分だけの役割を見つけていく。
生命に対しての感謝が溢れんばかりのエネルギーにぜひとも触れてほしいものです。
微笑みが未来に連鎖していきますように。

( 写真、文 = 大野 宗達 )


兵庫県西宮市甲子園口3-4-7
0798-61-2861
営業時間 10:30-18:00
定休日  水曜日、第3火曜日

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