「一粒に宿す憧憬」
神戸の街を少し山手へ足を進めると、落ち着いた花隈の一角にそっと潜むアトリエ。
重みのある扉を引けば、薄暗い空間を照らす月のような灯りの下にアンティークのショーケースが佇む。
そこに並ぶのは、宝石と見紛うほどの繊細な美しさをまとうショコラの数々。
口に含むと新鮮な味わいとともに、馴染みのある香りが懐かしい記憶を呼び起こす。
その正体は、カカオと掛け合わされている日本の旬の食材や発酵食品だ。
一粒一粒に宿された物語が、指先の温度とショコラが含む水分が溶け合うようにほどけていく。
その感覚が過ぎゆくのを待ちながら、店主の丈池さんの言葉がここに辿りつくまでの物語を紡ぎはじめた。
はじまりの風景
丈池さんの記憶は、徳島県の山に囲まれた田園風景からはじまる。
米農家を営む家に生まれ、遊び場は近くの山。
日々駆けまわった長閑な風景や触れた植物、感じた自然の香りが感性を育み、その世界観をつくりあげる。
絵を描き、創作すること、アートに興味を抱く少年だった。
食卓には畑でとれた旬の野菜や果物が並び、毎朝祖母がやかんで沸かす相生番茶が喉を潤す。
四季を映すシンプルな食事が、味覚や嗅覚を研ぎ澄ませた。
歩む道
建具職人の父の背中を見て育ち、おのずと志した職人という生き方。
ものづくりで感動体験を与えられる仕事に憧れを抱いていた。
看護師の母のもと、低糖質で栄養バランスがよい健康志向な食事を中心とするなか、特別な日だけに食べる甘いケーキやチョコレートに感動を覚えた。
さらに、洋菓子の美しさが思春期の感性に刻まれる。
当時は厳しい職人の世界であったパティシエという仕事に、自分が歩むべきものづくりの道を見つけた。
高校の食物科で調理師免許を取得すると、徳島を離れひとり大阪へ。
18歳で老舗のフランス菓子店での修行に踏み出した。
礎となるもの
飛び込んだのは厳しく過酷な業界。
3年目からようやく仕事に慣れはじめると、今まで上司に言われたことがひとつずつつながっていく。
気がつけば、洋菓子の世界に夢中だった。
ここで製造技術や知識など、パティシエとしてのベースを築けたことが、独立後に表現の幅を広げた。
なかでもチョコレートに秘められた表現力が、丈池さんの美意識を刺激する。
その後は街場のレストランやフランス菓子店で経験を積む。
直接、お客様の感想に触れる機会も増え、いつしか独立を意識するようになった。
自分らしさ
やがて、ホテル開業の誘いが舞い込みオープニングに携わる。
ショコラティエとしてボンボンショコラや工芸作品をつくりはじめると、アート的な表現の世界にどんどん魅了されていく。
ちょうどビーントゥバーが世に広まりはじめたころ。
産地別のカカオが注目されるようになり品質も高まってきたものの、まだまだ未開拓なチョコレートに大きな可能性を感じていた。
そのなかでも目を留めたのは、ベトナムのカカオ。
美味しさはもちろん、産地の近さも魅力だった。
自らの足で現地へ赴きピックアップして、体験や生産者の物語を添えれば事業に深みが生まれる。
自分らしいスタイルを描けたことから決意を固め、JHOICEとしてショコラをつくりはじめた。
個の表現
大手企業では日持ちのするチョコレートが量産される世の中で、敢えてその真逆を貫く。
水分量を高く糖度は抑え、さらに大量生産できない厳選した原材料をピックアップ。
日持ちしない分、食感や香りが鮮やかに伝わる。
より手間をかけ情報をこめ、個人だからできる表現を追求する。
用いるのは旬の野菜や果物、みりんに塩、どれも幼き日に食卓で触れたような原点の味。
日本各地の食材や発酵食品と、世界的に愛されているチョコレートを掛け合わせることで、その魅力とともに背景にある物語や生産者の想いも伝えていきたいと願う。
また、味や香りによってふと記憶が蘇るような感覚をとおして、日本ならではの四季の豊かさを描く。
丈池さんにとってのサウダージは、祖母が毎朝沸かしてくれた相生番茶だった。
美味しさというよりは懐かしさであふれた味。
日々当たり前のようにそこにあって、ふるさとを離れるまで喉を潤し続けてくれた。
久しぶりに口に含むと祖母の言葉や夏の暑さがフラッシュバックするように蘇る、あの感覚。
旬の食材で四季を表現することが、眠る記憶と結びつき、食べる人の心を動かす味となればいい。
そんな想いを一粒のなかに描いている。
追い風
売り上げを優先して本当に表現したいものから離れてしまうことを案じ、敢えてお店は持たずにスタートを切る。
構えたアトリエでショコラをつくり、イベントや百貨店の催事、ネットなどで販売した。
ワインバーで毎月催したワインとのペアリングを楽しむイベントでは、ベトナムから持ち帰ったカカオと、現地の空気感が伝わるエピソードにお客様の目が輝く。
次第にファンが増え、アトリエは少し手狭になってきた。
移転と同時にお店を持つことを考えはじめたころ、新型コロナウイルスの猛威が世の流れを変える。
活動の柱であるイベント出店や卸販売ができなくなり、ネット販売だけが頼みの綱。
逆境に後押しされるように、新たな表現のステージに踏み出す転機を得る。
山と海が近い神戸の街で見つけたのは、北向きで奥行きのある物件。
お店を併設した新しいアトリエで、ますますショコラに向き合う日々がはじまった。
暗闇と光
JHOICEという店名は、「jyoike’s choice」に由来する。
丈池さんがピックアップしたものをショコラを介して伝えていく、という事業のスタイルをその名にのせた。
敢えてショコラティエと名乗らなかったのは、チョコレートにこだわること以上に、食材の個性を最大限に引き立てることを大切にしたいという想いから。
加工はシンプルに、合わないものは無理に合わせない。
ラボラトリーと掲げた店内は、お菓子づくりのアトリエとしては異色なほどに薄暗く重低音が響く。
自分の感性や発想を引き出すために生まれた空間。
その暗いラボから生み出すショコラにこめるのは、光だ。
地元でも現実を目にしたように、日本各地には大勢の日の当たらない生産者がいる。
よい生産者に日を当てて再生し幸せを届けたいと願い、サブロゴに選んだのは蝉のモチーフ。
蝉はヨーロッパでは数が少なく珍しいため幸せを運ぶ虫といわれ、脱皮をするさまは復活再生の象徴とされる。
そんな想いで各地の生産者を訪ねることからスタートした事業だが、今では探し求めずとも自然とつながる縁に恵まれている。
生産者のほうから食材を使ってほしいと声がかかったり、人とのつながりから偶然出会う食材に挑むことも職人魂を刺激する。
背景にあるストーリーを味わいながら、ひとつひとつ光を灯していく。
ショコラでつなぐ
日本の食材とカカオを掛け合わせるように、その表現は何かと何かを「つなぐ」という行為で満ちている。
ショコラのなかで組み合わせた食材と食材を通じて、生産者同士がつながり懸け橋となれること。
チョコレートセミナーというコミュニティをとおして、お客様の間で交流が生まれること。
アーティストや陶芸家など、多彩な分野で活躍する異業種のプロフェッショナルとコラボレーションすること。
さまざまな人と人の出会いが、新たな化学反応を生む。
この先もあくまで自分ひとりのプロジェクトでありながら、ショコラを介して生まれる縁を実験をするように楽しんでいきたいと描いている。
心のゆく先
ショコラや食材を前にするとその魅力を語らずにはいられない、感動が原動力のショコラティエ。
自ら食材に触れ生産者に会って話を聞くからこそ、感動して思わず伝えたくなる。
味わってほしい気持ちが強すぎて、仕入れた食材がお客様への試食に消えたこともあった。
あらゆる行動の基準は、ただただ心の動くほうへと1歩ずつ歩みを進めるということ。
気持ちがのった物語は、また誰かの心を動かし広がっていく。
野山の植物に探求心をくすぐられ、美しいアートに感性を揺さぶられた、あの日の少年の姿がいまもここにある。
そのすべてが凝縮された一粒が新しいつながりのなかで生み出され、またひとつ、ショーケースに並ぶのだ。
編集後記
シックな内装とアーティスティックなショコラ、そこに日本の食材や発酵食品を掛け合わせるという意外性。
その理由を紐解きたい想いでお話を伺ったけれど、答えはとてもシンプルだった。
丈池さんの心に、田園風景が広がっているから。
彼を突き動かすのはきっと、その感性を磨き上げてくれた故郷への壮大なサウダージ。
幼少期の思い出や自然の彩り、そこに触れたときにふっと蘇る感覚を語る丈池さんの描写はとても瑞々しく、その言葉のひとつひとつから、こちらの脳裏にも鮮やかに景色が思い浮かぶようだった。
なかでも印象的だった祖母のお茶のように、郷愁を掻き立てるのはいつだってどこか不恰好な愛おしさ。
そして、もう戻らない時間の美しさは何ごとにも代えられない。
チョコレートという性質柄、冬にしっかり働き夏はお店を閉め、家族との時間や稲刈りを手伝うための帰省にあてるのだそう。
メリハリをつけて心ゆくまで故郷の風に触れる時間は、その感性を潤す。
もしかしたら、ほかのお菓子でなくてチョコレートを選んだことは必然でないだろうか。
そんなことを思いながら、薄暗いラボでまるで黄金色の田園風景を見たような気持ちになった。
( 写真 = 丈池 武志 文 = Yuki Takeda )
兵庫県神戸市中央区花隈町5 21店 9番
078-335-5980
営業時間 12:00〜19:00
定休日 日曜日、月曜日
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