「毎日をつないでいく」
気泡が美しい。
切った食パンの断面を見て、まずはじめにそう思いました。
力をしっかり蓄えて一斉に立ち上がった表情をしていたその軌跡は、味わった後も納得の美味しさでした。
生きものを扱うこと、食に携わるということは毎日変化がある中で、食材と向き合い、いかに調和の取れた状態をお客様に提供できるかが大切な行いでもあります。
パンならなおさら目に見えない、それでいて感じることのできる対象との対話の営みです。
完成しているようで完成されていないパンという食べものの美味しさはどこから生まれているのか。
また、人の手や意思はどこまでパンの美味しさに反映されているのか。
そんなことを考えさせてくれる機会となりました。
勝ち負けより生き方
やりたいことがなかった。
周りの環境や慣習に流されるまま東京のIT業界へ就職をした。
特にベンチャー界隈は勝負の世界で、どこまでも終わりのない戦いのような場所についていけなかった。
ITを手段にして自分は何をしたいのか。
目的は、本当にやりたいことは何か。
そのときはじめて生き方そのものを問いはじめた。
当時は食への関心も薄く、食べものはお米でもパンでも何でも、“作るもの” ではなく “買うもの” だと思っていた。
食の本質
仕事は2年も経たずして辞めた。
今までの思い込みを断ち切り、生活のすべてを変えたかったので、食べるものから住む場所、聴く音楽、読む本に至るまで、これから出会う環境のため気持ちを入れ替えた。
まずはその第一歩として東京から大学生活を送った京都に引越した。
なぜなら大学生の時、周りに多くいたミュージシャンやアーティストが自分のやりたいことを中心に据えて生きている姿がかっこよく見えたから。
食べることは好きだったので、明確な未来が定まっていないまま、とりあえず飲食店のアルバイトを数軒かけもちしながらやりくりしていくことに。
その中でもベジタリアンのお店との出会いが人生を動かした。
ある日、栗かぼちゃの美味しさに感銘を受ける。
ただ美味しいだけではなく、ベジタリアンをはじめ、あらゆる食に込められた思想性に関心が向いた瞬間だった。
野菜だけで生きるとはどういうことか。
それがまさに人生における生き方のヒントではないかと思えた。
目的の芽生え
4年ほど在籍したベジタリアンのお店から得た学びがとても大きかった。
野菜ひとつとってもそれができるまでに人が関わっていること、手間ひまがかかっていることを今まで考えたこともなかった。
その背景を想像することで理解できる美味しさの奥行きは何ものにも変えがたい生への実感だった。
何でも簡単に手に入り、想いを持つことがむずかしくなってきた時代に大切なことを忘れないためにも、自分がその場所に立って少しでも伝えていけたならと思えた。
何もそれは仰々しいものではなく、さりげなく、やさしく、そっと手を添える程度に。
その目的を果たすためには食という手段が自分にとって適しているのではないか。
そう気づいてからはすぐに行動した。
発って見つけたもの
ベジタリアンのことをもっと知りたいと思ったとき、当時の日本にはお店が少なかったので、ワーキングホリデーを利用してオーストラリアのメルボルンに向かった。
カフェで転々と働きながら、食について、人生の目的について、じっくりと考えれるほどに時間もたっぷりあった。
食の中でも何を手段にしたらいいのか。
ルームメイトにパン職人がいたことで、そのきっかけを見つけるのは容易かった。
熱心にパンと向き合っているルームメイトを見て、パンって作れるんだ、と感銘を受け自分も作りたいと思った。
中でも素朴でシンプルなのに味わい深さがあることに憧れた。
それに小さい頃から穀物系の味が好きだった。
四季への恋しさも募り、大切なお土産を抱えて、1年で日本へ帰ることに。
姿勢は思想
東京へ戻り自分の理想に近いパン屋が「ルヴァン」だった。
ルヴァンのオーナーは自然発酵の酵母を使ってパン作りを始めたパイオニア的な存在。
勇気を出して門戸を叩いた。
ルヴァンで働くようになって、どっぷりとパンの技術を学んだ。
途中、長野県上田市の支店で店長を任されるほど、オーナーからの信頼も厚かった。
約9年間の在籍でパンの技術や人間関係の大切さを学べたのはもちろん、パンの美味しさとは作り手の姿勢や気持ちが反映されていることを実感した。
というのも、オーナーのあたたかい人柄や生き方そのものがパンという作品に表れていたから。
自らの心を平穏に保つこと、人にも物にもやさしい気持ちで接すること、生きものを扱う上で自身の心の在り方を問うことはとても重要なことだと思えた。
受け継いだものは技術というよりも思想の方が大きかった。
人や社会との関わり
あるとき、奥様の両親の看病で兵庫県三田市の実家に行く機会があった。
思ってもいなかったことだけれど、実家の納屋が空いていたことをきっかけにパン屋を始めることに。
それはもうタイミングであり勢いであり自然なことだった。
大切なことを伝えたい気持ちが、知らず知らずのうちに内側で醸成していた。
あるものを活かし、前からあった場所に命を吹き込む。
すでに生き方の基礎ができ上がっていた。
お店を始めてみて大きな気づきだったのは、地域の人たちがつながりで来てくれること。
小さい頃から父親が転勤の多い仕事だったので、地域との関係はどうしても希薄なものだったからお祭りや行事にも参加したことがなかった。
人と対面して、挨拶を交わし、手渡して、また来てもらう。
そんな当たり前の関係が新鮮だったし大切だと思えた。
都会にいたら決してわからないことだった。
何か地域に対して、社会に対して貢献できることはないかと考えるようになった。
ちょうどいいこだわり
シンプルなパンだけに、材料以外の温度や湿度、自分の気分までもが影響する。
ひとつとして同じパンができない難しさに手応えを感じ、日々試行錯誤している。
いかに菌にいい発酵をしてもらうか。
どれだけいい環境を整えるかを意識しつつも、どれだけ自分が平常心でいられるかを教えてくれたのはルヴァンのオーナーだった。
はじめは凝り固まっていたこだわりも、やればやるほどゆるめていいことを知った。
大切なものを見失わない程度に、時代や環境や社会に適応していくこと。
パン作りだけでなく子育てや自分の人生においても言えることだった。
パン屋としての役割
便利さや効率ばかりを求めてしまう現代社会に違和感をおぼえている。
自然豊かな風景や季節の行事が徐々に失われていく寂しさのようなもの。
大切なことを忘れていないだろうか。
相手の想いに感謝する機会を忘れていないだろうか。
それに気づかせてくれたのは地域社会の在り方であったし、ずっと携わっていたパン作りでもあった。
生きものを扱うことは自然に感謝をすること。
パン作りを通して得た気づきを地域に還元できたらと思うようになっていった。
決して押し付けがましいものではなく、日々の営業の中でそっと佇むように用意されているもの。
それは文化に対する想いとも似ていた。
ゆっくりと時間をかけて発酵させていくことが大切なんだと。
自分にできることは些細なことかもしれないけれど、お米作りや餅つきの企画をして積極的に活動している。
感謝の機会を増やすこと、その場を通じてこそ気づける何かがあるはずだと信じている。
パン屋とお客様、自然と人、木と人、通っている命をつなぐ役割でありたいと店名を名付けた。
編集後記
地球はパン。
そう例えた清原さんの文脈は、美味しいパンを作るにはいい菌と悪い菌のバランスが大切なように、人間もまたいい社会をつくるためにはいい人と悪い人のバランスが大切ということでした。
中でも大部分を占める日和見菌という中立的な立場の菌をいかにいい方向に持っていくかが美味しさの秘訣で、その環境をいかに整えるかが作り手の匙にかかっていると言います。
いいものへ導くには、いいことへつなぐには、まずは自分がいい人でないといけない。
日々、気持ちのいい気分でパン作りに取り組めるか。
そう自分を律する意識の高さに感銘を受けました。
取材時に感じたさりげない気配りとおもてなしにも人柄が表れていました。
すべてのやさしさがパンにも含まれていました。
つまり何かを作るという行為はそういうことなんだと思います。
( 写真 、文 = 大野 宗達 )
兵庫県三田市高次1-4-11
営業時間 10:00〜18:00
定休日 日、月、火曜日
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