centonovanta 190 

「命の器」


京都御所の北側、大学が近い住宅街にそっと佇む一軒家。靴底で木材の軋みを感じながら風光る緑のアプローチを抜けると、ガラス扉の向こうにはやわらかな明かりが灯る。
赤みを帯びた木調がぬくもりを宿し、絵画が白い壁を彩る空間。
夫婦でイタリア料理のリストランテを営み13年。
駆け抜けて辿り着いたこの場所で、悪戯な運命がふたりを導いていく。
真っ白な皿の上に描かれるのは、奥様・櫻井やよいさんの視点で紡がれる物語。
重なり合う絵の具のようにさまざまな色を含みながら、どこまでも深くあたたかいその声で。

店主の櫻井やよいさん

料理の足音


絵を描くことが好き。
幼いころから、いつだって胸を高鳴らせるのはアートだった。
滋賀県で生まれ、京都の美術短大で油絵を学ぶとグラフィックデザインに従事する。
睡眠を削って創作に明け暮れ、大仕事を終えたあと休暇をもらってイタリアひとり旅へ。
大好きな小説のなかに出てきた、美しきポジターノという街。
現地のレストランで楽しそうに働くサービススタッフの姿に、納期に追われてばかりの自分を顧みる。
一生仕事をしていきたいけどデザイナーじゃないかもしれない…そんなことを思いはじめていた。
時代はカフェブーム、幼馴染からのいっしょにカフェを経営しないかという誘いに、やよいさんの胸に新たな夢が芽生える。
程なく料理のもつアート性に魅了され、26歳で料理の世界へ飛び込んだ。
いつの日か自分のお店を持ちたい。
幼馴染といっしょでも、たとえひとりでもこの道を行く。

出会いと夢

 

フランス料理店の厨房を経て、カフェレストランの立ち上げメンバーを経験。
ここで出会った建築学生の男性と、歳は離れていたがとても気が合った。
いつか建築家になった時にはわたしのお店を建ててほしい。
すぐさま親友になった彼と約束を交わす。
料理人としてのステップアップを試みるも、即戦力になれない自分にとってフランス料理店は狭き門だった。
ジャンルの幅を広げて出会ったディボディバというイタリア料理店で、基礎から学び直すことにした。
のちに全員が独立してお店を持ったほどに熱量が高いメンバーに囲まれ、早朝から深夜まで働く日々を送る。
やがてカフェ経営の夢を分かち合った幼馴染は、家庭環境の変化によりやむを得ず別の道へ。
やよいさんにもまた、現在の夫であるシェフ・康行さんとの出会いがあった。
23歳でイタリアへ、ジェノバ州のサンレモで修行をした康行さん。
食材へのこだわりが強く、トマトひとつを扱うにしても歴史から調べ直すほどの職人気質。
ひとりでもやろうと思っていたお店は、いつしかふたりの夢として重なっていく。
康行さんとやるのなら、わたしがサービスをしたほうがいい。
お店に立つうちにお客様と接することを楽しく感じている自分に気づき、サービススタッフへ転向。
ついに、夫婦となったふたりのお店がかたちになる。

 

四条烏丸・蛸薬師、テーブルは6席。
コース料理を提供するリストランテとして2011年12月にオープンした。
「イルチリエージョ」という当時の店名は、イタリア語で「桜」。
そこにあるのは櫻井という姓と、康行さんの料理のこころである“古典料理の再構築”。
イタリア料理は本来、地元で採れた旬の食材を用いる普遍的なもの。
飽きがこず、古くも新しくもない…そんな料理のようなお店になればと想いを込めた。
当時、ふたりの息子は3歳。
子育てをしながらソムリエの資格を取得したやよいさん、当初はワインの仕入れやサポートに徹しようと思っていた。
そんな中、家庭の事情で退職したスタッフの代わりにヘルプに入ったところから状況が一転。
慌ただしさで立ち止まる間もなく、滋賀・京都(亀岡)に暮らすお互いの両親に子どもを預けながら、必死でお店を営む日々がはじまる。
家族の誰かひとりが欠けても成り立たない生活が9年も続いた。
年を重ねていく両親の負担、子どもと会えない時間の長さ。
いつしか店舗兼住宅にすることを願うようになり、息子が中学生になるタイミングで移転をした。

夜のカフェテラス

 

新しい場所は、御所北のお年寄りも暮らす穏やかな住宅街。
地元の人にも来てもらいたいと感じて、コース料理からアラカルト(一品料理)に、雰囲気もアットホームな印象に変えることにした。
建築家となった親友との約束がついに実る。
どんなお店だろうとワクワクしながら入ってきてもらえるように前庭をつくり、家のダイニングにあるようなエッジの丸いカウンターやテーブルを並べた。
客席と2階の自宅の間を、のびやかな吹き抜けがやわらかく隔てる。
ここだけ明かりが灯っているような、あたたかい雰囲気。
やよいさんの胸にあったコンセプトは、ゴッホの絵画「夜のカフェテラス」。
建築家の彼には伝えていなかったが、引き渡し直前に奇遇にもおなじコンセプトを抱いていたことを知り、鳥肌が立った。
静かな暗闇と引き立て合うかのように、その明かりが街の一角を照らしはじめる。

大切なもの

移転をしたのは、まさにコロナ禍がはじまったばかりのころ。
多くの人が立ち止まり生き様や価値観を見つめ直す中、やよいさん家族も例外ではなかった。
念願の店舗兼住宅へ引っ越したはずなのに、2階の自宅で過ごす息子といっしょに食卓を囲むことは少なかった。
中学校への進学、幼いころから側にいてくれた祖父母と会う機会も減り、息子には大きな変化が重なる。
離れて暮らす両親の体調も案じていた。
毎日お店に立ちお客様と笑顔を交わしているけれど、わたしは家庭でも笑えているだろうか。
大切な人たちを置き去りにしていないだろうか。
ひたすらに駆け抜けてふとスピードを緩めれば、ただただ家族を大切にしたいという想いが込み上げる。
夕方までに仕事を終えて、おかえりと迎えたい。
子どもといっしょに、ごはんが食べたい。
そう思った。

ただの190番地

「がむしゃら」という言葉でしか表現しようのないほどに走り抜けた、束の間なようで濃密だった年月。
夫婦でリストランテをやって来られたのは、紛れもなく家族の支えがあってこそ。
家族との時間、そしてずっと来てくださっているお客様、どちらも大切に守ることのできる選択をしたい。
探し求めて見つけたのは、平日は夕方まで、週末は夜のみの変則営業というかたちだった。
リストランテとしての名「イルチリエージョ」は相応しくないと感じ、一旦閉店し名も改める決意をした。
新しいお店の名は「190」。
「チェントノヴァンタ」と読み、イタリア語でその数字を表す。
ここ、御所北にある店舗兼住宅の番地、そのものを店の名とした。
バールでもリストランテでもない、なんの肩書もない、ただ190番地にあるお店。
ずっと非日常の特別な料理をやってきたけれど、新しく選んだのは日常にある料理。
ただの番地を名乗ることで、どんなふうにも変われるという余白を持たせた。
肩書を手放し再スタートを切ったお店は、コロナ禍が明けたことでより慌ただしく回りはじめる。

アートの架け橋

流れるような日々のなかで、ある日更なる転機が訪れる。
変則的な営業と忙しさから十分な休息がとれない生活が祟り、康行さんが倒れたのだ。
なんとか体調は持ち直したが、今までのようにシェフとして料理をすることはできなくなった。
ずっと夫婦二人三脚でやってきたお店、この先どうしたらいいのだろうか。
やよいさん自身は、もう20年も料理をやっていない。自分でつくる自信はなかった。
でも、人にお店を貸すにしろ別のところに勤めるにしろ大変だ。
散々思案を巡らせた結果、自分でワインバーをやるという選択がもっともシンプルでいい気がした。
ひとりでムリなくやるなら、営業は週4日。
何もやらないよりはいいだろうという感覚でスタートを切る。
試行錯誤しながら、辿り着いたコンセプトは「アートとワインと美味しいもの」。
店内に飾った絵画は販売もしていて、ワイン片手に作品に触れられるギャラリーとして、訪れる人とアートをつなぐ場をつくっている。
肝心の料理も、ブランクはあったもののやりはじめると徐々に勘を取り戻していった。
何より、やよいさんの武器はコミュニケーションである。
おひとりでもいろんな料理を味わってもらえるように1品あたりの量を少なめにしたり、お客様との会話から生まれた料理をメニューにしたり、出張ソムリエをやってみたり。
効率よりも、自分もお客様も楽しくなることをどんどん取り入れていく。
思い返せばいつだって、その時々の変化を楽しんで生きることに長けていた。

Over the Sun

自分自身のこと、家族のこと、お客様のこと、お店を支えてくれる友人知人のこと。
いろんなものを抱きながら駆け抜けて、ふと見渡せばなんだかいろんなことが丸くおさまっていた。
康行さんを手伝っているだけの気持ちだったら、このお店はとっくに辞めていると思う。
ずっとずっと前から根底にあった、自分のお店を持ちたいという夢。
追いかけ続けたその光は、紆余曲折を経ていつしか叶っていた。
康行さんに相談をしたり、お互いの料理に新鮮味をもって会話ができる。
距離が離れたからこそ、ふたりの在りかたを見つめ直す機会にもなった。
もしかしたら、しんどい部分もあったのに、そうあるべきだと言い聞かせていた部分もあったのかもしれない。
長い年月を経てきた絵の具の塊が溶け出すように、目を留めずに来てしまったことをひとつずつ取り戻していく。
高校生になった息子も、両親のそれぞれを応援してくれている。
幸せのかたちはひとつじゃない。
大切な人たち、だれにとってもいいバランス。
この190番地に灯る明かりがあたたかいのは、何度でも立ち止まり変化して見つけた「うちのスタイル」だからなのかもしれない。

編集後記

 

190からほんの少し足を進めたところに大きな桜の木がある。
一度目のお話を伺ったのは、ちょうどその盛りだった。
帰り際に立ち寄って見上げた、少し散りかけた桜の花の美しかったことを鮮明に覚えている。
物語を書き進めるうちに、櫻井家のみなさんのもとには大きな変化があった。
そのお話を聞かずに書き上げることはできず、再びお話を伺いようやく筆を置こうとする今、あの日の桜が心をかすめる。
堂々としてあたたかみがあるけれど、雨風や自然の流れをやわらかに受け入れ日に日に姿を変えていく。そして、どんな様も美しい。
それはまるで、この190というお店、そのものようだ。
はじめてお電話でお話したときからずっと、耳に心地よいやよいさんの声。
同郷の訛りなのか、ぬくもりのある声質なのか、はたまたまっすぐに相手をみて伝えてくださるその姿勢が故なのか。
きっとかたちが変わっても、この場所を訪れる人の多くが彼女と言葉を交わすことを求めている。
どんなふうにでも変わっていける。
たくさんのことを抱いて生きた末にそう思えた人の、あたたかさと強さを、その声に感じる。

( 写真 = 大野 宗達  文 = Yuki Takeda )


京都府京都市上京区納屋町190
075-354-6106
営業日 水〜土曜日  17:00〜24:00

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