「献身と一途に受け継ぐ遺志」
山へ車を走らせる。
迷いながら辿り着いた先には、ぽつんと佇む古めかしい建物。
一人でひっそりと天然酵母パンを焼き続けて十数年。
店主の井関さんを語る上で、まずはじめにオートマタ作家の西田明夫さん(すでに他界)との関わりから説明しないといけない。
オートマタとは、木工で作るからくり人形、動く玩具と言ったところ。
西田さんは、その世界で活躍した第一人者。
西田さんとの関わりから天然酵母パンに至った系譜を紐解いていきます。
時代への違和感
大学を卒業して就職するタイミングと、バブルの崩壊の時期がちょうど重なり、まだ男女の雇用に差も大きく、とりあえず働けさえすればいいという覚悟でいた。
場所は岡山県、造船の盛んな街で、幸い造船会社の設計に関わる仕事に就けた。
行う業務は委託されたもので、大きな船のごく一部分を作っているにすぎない。
1日中CADに向かう職場の中で、その頃に感じていた違和感は「部品を作るだけでは一貫性がなく何も感じない」ということ。
自分は何がしたいのだろう。
時代は大量生産、大量消費に向かう真っ只中。
次第にお客様の顔が見える仕事がしたいと思うようになっていた。
出会いは必然
芽生えた感情をどのように表現していいかわからないまま、もやもやとした気持ちを抱えながら仕事をしていた。
もともと木の家具が好きで、よく倉敷まで作家の個展に見に行ったりして日々のストレスを癒していた。
高くて買えないなら自分で作れたらいいのでは、とぼんやり思っていた。
同じ頃に母親のすすめで、当時西田さんが運営していた小さなホテル「田舎の日曜日」(岡山県美作市)に連れて行ってもらう機会があった。
その瞬間、今まで感じていた違和感をすべて解消してくれるほどの衝撃を受けた。
そこは、社会の喧騒から逃れるような、周りに何もない静かな場所。
ホテルのコンセプトも、何かをするための旅でなく、何もしないための旅と謳っている。
同じ敷地内には現代玩具博物館や木工作業場があり、西田さんが手がけたオートマタの作品にも触れることができた。
心を突き動かすもの
抑えられない衝動は、ここで働きたいという考えに変わり西田さんに直談判をすることに。
すでに西田さんの作業の手伝いをしている人がいたので、もちろんいい返事はもらえなかった。
しかし点いてしまった火はなかなかおさまらない。
帰ってきて職場にあった糸のこを借りて木工の練習を始めた。
木工は狭い職人仕事であるがゆえ、手伝いをする人が生計の見通しが立たなく、すぐに辞めていく。
その情報を耳にする度に、何度も西田さんのもとへ通った。
西田さんはとてもご縁を大切にする人。
これは自分の活動を広げるタイミングなのではと思ってもらえたらしく、何度目かにやっと情熱が届き働かせてもらうことができた。
西田さんのもとで働くということが最優先だったので、お給料は親の扶養範囲内でおさめてもらい、朝から晩まで思う存分、木工の仕事に没頭した。
ホテルには西田さんの顔もあって著名な作家さんが度々訪れる。
その談笑のひとときに同席させてくれたり、ものづくりに対する姿勢であったりと、技術ではない精神性を学べる貴重な体験をした事が、今でも大きな財産になっていると当時を振り返る。
息抜きをするように
ひたすら西田さんの仕事を手伝う毎日。
とにかく徹底的に手伝うと決めたものの、オートマタ作家になりたいわけではなかった。
西田さんの世界観は好き、でも自分はどこに向かってるんだろう。
そんな迷いや不安を解消するように、長時間に及ぶ作業の合間に、何か短時間でできるものはないかと探していたところ、見つけたのはお菓子作りだった。
木工と違ってお菓子は作る過程で、形が短時間で変わっていく。
やってみると面白く、何より自分で作ったものを相手が喜んで食べてくれるのがうれしかった。
西田さんの手伝いをしていては感じることのできない感覚だった。
はまる感覚
教室に通うほどお菓子作りに興味を持ち始めるようになった。
そんなある時、友人からパンの本をいただく機会があり、天然酵母のことを初めて知る。
ゆっくり発酵していく姿が、なんて穏やかで愛情に満ちた作り方なんだろうと感銘を受けた。
同じようなタイミングで、西田さんが玩具工房を巡るためにドイツへ行く機会があり、一緒に連れて行ってもらったことがあった。
その時に出会ったのが硬いライ麦パン。
普段はやわらかいパンしか食べていなかったので、硬いパンを薄く切って何かを挟んで食べることが新鮮で美味しいと思えた。
また酵母が持っている力だけで膨らむことがおもしろく、しっかりしたパンに興味が湧いてきた。
ご縁が導いた天然酵母パンだが、この時はまだ趣味の範囲で考えていた。
ゆらぎ
木工の仕事を始めて約5年。
ちょうどその頃、西田さんの仕事にも変化が見え始めていた。
作家活動以外にもテレビ出演や執筆と多忙を極め、新たに作品を生み出す機会が減ってきた。
井関さんが見ていた西田さんの後ろ姿は、ものづくりに対しての世界観。
でもそれはものづくりを続けていくための広報活動であり資金繰りで、本来はクリエイティブに新しい作品を望んでいる西田さんの葛藤を、長い時間そばにいたからこそわかった。
西田さんにとっては、認知が広まり注文も増えてきたので井関さんがいることで製作の面では助かってはいたけど、井関さんの未来を案じてくれていたと推測する。
井関さん自身も、自分がいることで西田さんの製作の機会を奪ってしまっているのではないか、新しくオートマタをやりたい人の邪魔になっていないか、そう思うようになってきた。
有馬の地へ
そんな折に、兵庫県にある有馬で室町時代から旅館業を営む御所坊が有馬温泉街を盛り上げたいと、玩具の博物館(現・有馬玩具博物館)を作る際に西田さんを館長として招くことになった。
西田さんにとっては井関さんが必要な存在。
井関さん自身も、もやもやとした思いを感じながらも、次の人生を模索していたので、これもご縁だと岡山から移住することに決めた。
一人で部屋を借りる余裕はなかったので、県外から来た博物館の職員2人と共同生活を始める。
岡山では夜遅くまで作業をしていたけど、有馬では制限がありできなくなってしまったことで時間に余裕ができた。
一緒に住んでいる人がいる、時間がある。
やってみたかった天然酵母のパンをちゃんと作ってみよう。
環境の変化が次第に行動を変えていった。
ご縁のままに
天然酵母のパンをもっと本格的に勉強したいと思うようになってきた。
当時はまだ少なかった自家製酵母を教えてくれる先生が運よく近くにいたので、
西田さんの手伝いをしながらも、1年ほど教室に通いながら毎日パンを焼いた。
食べてくれる人がいるからこそがんばれたし、何より純粋におもしろかった。
同時にオートマタ作家はどれだけいいものを作っても生活していくのはむずかしいと、有馬に来てもずっと将来への不安を抱えていた。
そんな矢先に御所坊の社長から、もとはテニスコートのラウンジだった建物を改装するので、お店としてパンを本格的に焼いてみないかと打診される。
それはいろんなお店があることで有馬を散策する楽しみを作りたいという社長の動機から。
西田さんとの関わりがなくなるわけではない、パンの勉強を本格的に始めてまだ1年で自信はまるでなかったけど、自分がいま熱を注げることをしてみたいと思い承諾した。
継続の先に
話が決まった後は、もう少しだけ自信をつけたくて、同じパン教室でプロコースをさらに1年間学んだ。
資金に余裕があるわけではない、お店作りは自分の木工技術が及ぶ範囲で手作りした。
ドイツに行った時に買った小物を飾ったりした。
はじめの営業は散々だった。
時代背景を考えても硬くて酸味のある天然酵母パンへの理解は今より進んでいない。
有馬といえど南に下れば、パン文化の盛んな神戸がある。
「もっとやわらかくしないのか」
「もっとたくさん作れないのか」
いろんなことを言われてきたけど、真摯に酵母と向き合い自分の信念を貫いてきた。
天然酵母は不安定なので決して同じ品質なものは作れない。
そんな中、自分では出来が良くないと思っていた日があったにもかかわらず、お客様に「パンに誠意がある」と言われたことがあった。
自分の信念が誰かに伝わってる実感があると、続けていくための大きな原動力になる。
うれしい応援と評価の声を集めていたら気づけば16年も経っていた。
もうひとつ続けていられるのは、有馬玩具博物館へ導くための窓口的な存在になることが自分のお店の使命であると認識していること。
それはお世話になっている人たちへの恩返しであり、責任でもあり、亡き西田さんの遺志を自分なりに解釈し体現した姿でもある。
編集後記
ものづくりの世界の厳しさを知っていたとしてもなお、その世界に身を投じる。
自分が納得のいく領域でやっていきたいという気持ちが痛いほどによくわかります。
天然酵母は、酵母の出来が仕上がりに大きく左右するのでたくさん作れないから、お店として続けていくには、バックアップしてくれる人の存在が必要だと言います。
西田さんと同じ景色を見ていたからこそわかること。
ご縁を大切にしているからこそ見つかるその存在。
酵母を育てるように見守るように、ものづくりを続けていく。
取材を通じて文章にして、まるで西田さんとお話をしているようでした。
( 写真 、文 = 大野 宗達 )
神戸市有馬町1229-1 有馬駐車場内
TEL 078-903-1024
営業日 木.金.土.日
11時から売り切れ次第終了
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